微熱戦記 ずっと前から、きっと君を探していた。 いつだって、心の奥底で叫んでいた。 僕が求めているのは、そんなものじゃない。 ほんとうの僕を見て。 弱さも汚さも持ち合わせた、ありのままの僕の姿を… 「不二君、ずっと好きだったの。つきあってくれませんか…？」 「僕、そういうことには興味ないんだよね…悪いけど。」 「私、不二先輩をずっと見てました！」 「ごめんね。僕、君のこと知らないんだ。」 幾度となく繰り返されてきた悲劇。 全ては、僕の意のままに描き出された戯曲。 哀れなヒロインたちの叙情詩。 そして、軽蔑と嘲笑 ―― 僕が笑いかければ、頬を赤らめない子などいなかった。 僕が誘えば、騒がない子などいなかった。 ―― それは僕が、“完璧な人間”だから？ もちろんそのことに不満はなかった。自負すら感じていた。 “天才”と呼ばれ、憧憬の的となること。 いつからか慣れて、そしていつしか失いたくなくなって。 他人を、時に自分さえも傷つけ、偽って。 そうすることで僕の魂は輝き続けた。 それが僕の願いだった、はずだった。 それなのに… 「不二君て、勉強もできてテニスもうまくて、ホントすごーい！」 …また。 「天才なんて言われて、本当はつらいでしょ？ 　私には、何でも言っていいから。」 …ああ、まただ。 望んでいたはずの言葉の数々。 反面、そこに募ってゆく静かな怒り。 胸を締めつける葛藤。 そして、孤独。 なぜならそれは、同調と偽善の演技。 全ては、僕に近付くための。 偽りの“天才”である、僕に… 僕の中には矛盾があって。 自ら望んで完璧を演じていた。 それなのに、心のどこかで本当の自分を 分かってくれる存在を求めている。 だけど今更それをさらけ出すわけにもいかず。 求めれば求めるほど、底なし沼のような心の闇へと堕ちてゆく ―― ―― 君達に、僕の何が分かるというの？ 自分から、騙してた。 なのに、信じられなくなっていた。 愛なんて、ゲームと同じ。 駆け引き。策略。誘惑と征服。 塗り固められてゆく笑顔。下がってゆく体温。 あの日、君の心に触れるまでは。 それは荒野に咲いた、儚くも強い天使のように ―― ＊　　　　　＊　　　　　＊ 「キャーッ！　不二くーん！！」 「不二先輩、ステキー！！」 休日だというのに、コートの周りはものすごい人だかり。 悲鳴にも似た黄色い声援。痛いほどに注がれる視線。 そして ―― 力及ばず、僕は敗けた ―― 後悔はなかった。 持てる力の全てを出し切った。 満足だった。 それでも彼女達は… 「信じられない…不二先輩が…」 「こんなの、何かの間違いです！」 「そうだよ。不二君、調子悪かったんだよね？」 だから、僕は言った。 「そんなことまで分かっちゃうんだ…すごいね。」 冷ややかな声で、だけどポーカーフェイスは崩さずに。 君達には、理解できる？ 「うん。だって不二君は天才だもん。」 「不二君の実力だったらあんな相手…あっ不二君！？」 「……………」 僕は人込みをすり抜け、足早にコートを立ち去った。 自分を取り巻く全てのものから逃げるように、ひたすら歩いた。 その時だった。 「不二先輩っ！」 気持ちを逆なでするかのように、追ってくる足音。 「不二先輩…待って、ください…！」 「何か用？」 苛立ちを覚えながら振り返る。 真新しい制服。 息が上がり、紅潮した頬。 ―― それが、君だった。 君は何も言わずにタオルを差し出すと、ぎこちなくほほえんだ。 それだけだった。 タオルを受け取ってベンチに腰かけると、 君はその隣に一人分空けて座った。 汗を拭いながら見上げた空には、ツバメが飛び交っている。 ほてった体を心地良い風が包み、髪を揺らしてゆく。 「…………………………」 長い沈黙。 しびれを切らし、先に口を開いたのは僕だった。 「ねえ…どうして何も言わないの？」 君も何か言いたくて、ここに来たんじゃないの？ 「…ねえ、何か言ったら？」 君は黙ったまま、その横顔はどこか寂しげで… じらされているかのような居心地の悪さ。 この時の僕は、自分でも驚くくらいに余裕を失くしていた。 君の正面に立ち、両肩をわしづかみにする。 「なんとか言いなよ。どうして黙ってるの？」 すると君は、うつむいた顔を上げて僕の目を見つめ返した。 思わず息を飲むような強い瞳。 期待、野心、欲望…そんなものは、どこにもない。 少しの曇りもない、まっすぐな瞳。 肩から手を離し、目をそらしてしまう。 ―― 君になら、伝えられるかもしれない。伝わるかもしれない。 再び視線を合わせ、ユニフォームの裾を握りしめる。 「僕は…」 「僕は…ッ」 言葉が、出てこなかった。 嘘で飾った日々は、僕に本当の想いを語ることさえ 忘れさせてしまったみたい。 喉の奥が痛い。 どうしようもないほどの焦燥。 「誰に何て言われたって…」 ようやく紡がれた君の言葉。 汚れのない、その、瞳。 それはきっと、僕が求め続けたひとひらの救い。 「不二先輩が、不二先輩でいてくれればそれでいい…」 その刹那、体中がかあっと熱くなるのが分かった。 僕の中の何かが、音をたてて壊れたような気がした ―― ＊　　　　　＊　　　　　＊ 全ての始まりは、あの日 ―― あの日壊れたものはきっと、僕の心を閉ざし続けた冷たい氷。 君は僕を、分かってくれる？ 君は僕を、許してくれる？ 君は僕を、愛してくれる？ 弱さも汚さも持ち合わせた、ありのままの僕の姿を… 称賛の言葉も、羨望の眼差しも、もういらない。 君さえいればいい。 初めてそう思えた。 冷めきったこの躰（からだ）に、温もりの灯をともしたのは君。 やがてそれは、確かな熱を帯びて… 愛なんて、ゲームと同じ。 だけどそれは、世界にたった一つ、君という存在を勝ち取る戦い。 君が教えてくれた。 嘘偽りのない、僕が僕であるために。 僕は、この勝負に勝ち続ける。 Back