弟クンと呼ばないで


ここは不二家のリビング。

ソファに腰かけて読書をしている周助のところに、
おいしそうな匂いが立ちこめてくる。

「いい匂いがしてきたね、姉さん。」
「今日は裕太が帰って来るでしょ。
　だからあの子の好きなラズベリーパイを焼いているのよ。」

そう言ってキッチンから顔を出したのは、姉の由美子。

今日は連休の初日、寮生活をしている裕太が
久しぶりに帰って来るのだ。

「それにしても裕太、遅いね。」
「あ、それならさっき電話があって、途中のコートで
　部活の先輩と少し打ってから帰るって言ってたわよ。」
「ふーん…テニスだったら僕が教えてあげるのにな。」
「もう、そういうこと言うから裕太が怒るのよ。」

由美子はふふっ…と苦笑いした。


＊　　　　　＊　　　　　＊


ちょうどその頃、町外れのテニスコートでは…

「すみません先輩。
　せっかくのお休みなのに、練習につきあわせちゃって…」
「いーよいーよ、気にしないで。」
「かわいい後輩の指導をするのも先輩の役目、ですもんねー
　ちゃん先輩！」
「そのとーり！」
「ちょ、ちょっと朋ちゃん…」

が、桜乃と朋香にテニスのコーチをしているところだった。

「やったぁ、打ち返せた！」
「朋ちゃん、すごーい…」

３人は先程から、対桜乃・朋香ペアで打ち合いをしている。
空振りばかりの桜乃に対し、
朋香はおもしろいようにのコートに返していく。

「もったいないなぁ。朋香ちゃん運動神経いいんだから、
　何か運動部に入ればいいのに…」
「あ、うちは無理なんですよぉ。
　弟’ｓの世話しなきゃいけないんで…」
「弟’ｓ？」
「朋ちゃんの弟は双子で、まだ小っちゃいんです。」
「そっか…大変なんだね。でもいいなぁ、弟。私も欲しかったなぁ…」
「ちゃん先輩、本気ですか！？　弟なんてウルサイだけですよぉ？」
「そんなことないでしょ。
　弟いたら一緒にテニスしたりして…楽しいだろうなー…」

他愛もない話をしながらラリーを続けていた３人だったが…

「あっ…！」

桜乃が打った球が、突拍子もない方向へすっ飛んでいってしまった。
まさに“ホームラン”とはこのこと。
球は大きな弧を描いて…

ぱっこ ―――― ん！

向かいのコートにいたスポーツ刈りの少年の脳天を直撃した…。

「いってェ…」
「裕太、大丈夫だーね！？」

桜乃のホームランボールをくらったこの少年が、
帰宅途中の不二　裕太。
そしてその練習につきあっているのが、
チームメイトの柳沢　慎也。

そこへ桜乃がぱたぱたと駆けてくる。

「あのッ…す、すみません…私ってホントにドジで…
　ごめんなさい、ごめんなさい…！」
「あ…いいですよ。そんなに謝んないでくださいよ。」

ぺこぺこと頭を下げる桜乃に、裕太はボールを拾って手渡した。


＊　　　　　＊　　　　　＊


「桜乃、だいじょーぶー？　怒られなかったー？」
「うん…でも恥ずかしいよぉ…」
「桜乃ちゃんは打つ時にヒジを曲げちゃうクセがあるみたいね。
　もっと腕全体を使って、振り抜くようにして打ってみたら？」
「そうそう、こーやって…」

―― ブンッ！

のアドバイスを受けて、朋香がスイングの手本を見せるが…

「朋ちゃん、ラケットは…？」
「…あれ？」

朋香のラケットが、忽然と消えていた。

朋香の手からすっぽ抜けたラケットは、
シュルシュルと回転をかけて…

げしっ！！

向かいのコートにいた…

「げっ、さっきの人じゃん！」

裕太の背中に直撃した…。

「つ…今度はラケットかよ…」
「裕太、ツイてないだーね。」

そこへ朋香が、頭を掻きながら駆けてくる。

「ラケット飛んでっちゃいましたー、ごめんなさーい…」
「気を付けてくださいよ、まったく…」

裕太は少しイラついた様子でラケットを返した。


＊　　　　　＊　　　　　＊


「もう、朋香ちゃんてばドジなんだから…危ないから気を付けてね。」
「えへへ、ごめんなさーい…さっ、気を取り直して練習、練習♪」
「朋ちゃん、反省してないでしょ…」

こうして３人はラリーを再開した。が…（←またかよ）

「あ、しまった…！」

桜乃のロブが、大きく上がってしまう。

「大丈夫、このくらい取れる！」

ボールを見上げながら後退していくだったが、
そのままベースラインを越えて…

「ちゃん先輩、後ろ後ろ！」
「危ないっ…！」
「え…？」

どし ―――― ん！！

「いたたた…」

何かに衝突して、ひっくり返った。
そしてその下敷きになっていたのは…

「あ゛…さっきの人…！」

裕太だった…。（お約束）

「こ、の〜〜〜！」

いくら善良な裕太君でも、３度も攻撃を加えれば怒ります。

「いいかげんにしてくれよこのヘタクソ！！」
「…！」

ヘタクソと言われて、の頭にも血がのぼる。

「失礼ね！　これでも私、青学女子テニス部のレギュラーなんだから！」
「え、青学…！？」

裕太の表情が変わる。

「あ ―――― っ！！」

は裕太を指差し、いきなり叫んだ。

「な…なんだよ！？」
「不二先輩の弟クンだー！！」
「なっ…！！」

裕太の額に、ピキピキと青筋が立つ。

「なんなんだよお前、人のムカツキポイントを的確に…！」
「青学２年、女子テニス部エースの　よ！」
「へっ、何言ってんだか。
　お前みたいなヘタクソがエースだなんて、
　青学もたいしたことねーんだな。」
「なによっ都大会でうちに負けたくせに、リョーマ君に負けたくせにー！
　アンタのほうがずーっとヘタクソでしょーっ！？」
「こっ…このナマイキ女…！」

罵り合う２人。

「裕太やめるだーね！」
「先輩、ケンカはダメですぅ…」
「ちゃん先輩〜！」

柳沢・桜乃・朋香が止めに入るが…

「「勝負だ！！」」

２人はすでに戦闘体勢に入っていた。


＊　　　　　＊　　　　　＊


「いいかげん負けを認めろよヘタクソ女！」
「アンタこそ諦めたらどーなのッ！？」

延々とラリーを続ける裕太と。
両者、一歩も譲らないといった感じだ。

「アンタ本当に不二先輩の弟！？
　先輩すっごく優しいのに、アンタ全然似てなくて性格悪っ！」
「またそーやってなんでもかんでも兄貴と比べやがってーッ！！」
「それに不二先輩のほうがテニスも上手！
　だって前に試合した時、私１ポイントも取れなかったもん！」
「それはお前がヘタクソだからだろーっ！！」
「じゃあ私と互角なアンタはなんなのよーッ！！」
「ちっくしょ ―――― ッ！！」

……………

「どうしよう桜乃ぉ〜…」
「先輩、ああ見えて負けず嫌いだから…」
「裕太も同じだーね…」

その様子をただ見守るしかない３人…。

「ねぇ…何してんの？」

そこに偶然、越前がやって来た。

「リョーマく…」
「リョーマ様ぁ〜！」
「…で、なんで先輩と不二先輩の弟が試合してるわけ？」
「それが…」

朋香が事情を説明する。

「あ、そうだ！」

突然、朋香が叫ぶ。

「いーこと思いついちゃった！
　桜乃、せっかくだからリョーマ様にテニス教えてもらおうよ〜！」
「え、でもリョーマ君に悪いよぉ…」
「だってちゃん先輩、あの調子じゃ当分終わんないだろうし。
　ね、ね、いいでしょリョーマ様〜？」
「と、朋ちゃ…」
「別にいいけど。」

桜乃の心配をよそに、越前はあっさりと答えた。

「やったぁ、決ーまり！　さ、行こ行こリョーマ様！」

朋香は越前の手を引いて、別のコートに向かおうとする。

「あの…」

対照的に、オロオロしたままの桜乃。
と、越前が彼女のほうを振り返る。

「竜崎は？　やるの？　やらないの？」
「あ…お、お願いしますっ…！」

桜乃は、急いで２人の後について行った。

……………

「あーっもうムカツク！
　こんなんだったら弟なんかいらないーッ！！」
「何わけの分かんねーこと言ってんだよ！
　だいたいさっきから弟、弟言うな！
　俺には裕太っていう名前があるんだからな！！」
「なによーっ！
　弟、弟、オートーウート ―― ッ！！」

…一方のコートには、半ばやけくそになって力の限り戦う裕太と。

「リョーマ様リョーマ様ぁ〜、これでいいの？」
「まあまあだね。…あ、竜崎ヒジ曲げすぎ。」
「は、はいっ。」

…もう一方のコートには、仲良く（？）練習を始めた越前・桜乃・朋香。

そして、ただ一人とり残された柳沢…

「なんだか…むなしい…だ〜ね〜…」


＊　　　　　＊　　　　　＊


「ただいま。」

ガチャッ…と不二家の玄関が開かれる。

「おかえり裕太。遅かったね。」
「兄貴には関係ねーだろ…」
「あれ、なんか機嫌悪くない？」
「さっきコートにすっげー生意気な女がいたんだ。
　青学２年の　って子。」
「僕、その子知ってるよ。」
「ホント青学テニス部ってムカつく奴が多いよな…」
「あ、それ僕も入ってる？」
「フン…」

そこへ由美子が、温め直したラズベリーパイを持って来た。

「ほらほら２人とも。会うなりいきなりケンカしないの。」

……………

リビングで、少し遅いおやつを食べる不二兄弟。

「裕太、さんとは仲良くしなきゃだめだよ。」
「なんで兄貴がそんなこと言うんだよ。」
「くすっ…なんでだろうね。」

周助は、笑みを浮かべたままパイをほおばっていた。
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