バスが来るまで 　　　バスが来るまでの限られた時間で。 　　　もっと、君のことを知りたいと思った。 「あ、降ってきた…どうしよう、傘持ってないよ〜…」 友達の家に行った帰り道、突然の夕立。 バスを待つ人の列の最後尾で、は小さなため息をついた。 「あーあ…早くバス来ないかな…」 だが、そんな願いもむなしく、バスはいっこうに来る気配がない。 瞬く間に雨は強さを増し、辺り一面は雨音に包まれた。 すでに髪も服もびしょ濡れである。 前の人の傘に入れてもらおうと思い立ち、 思い切って声をかけてみる。 「あのっ、すみませ…」 だが、の前に並んでいたのは相々傘のカップル。 自分達以外のものは何も見えていないらしく、 声をかけたの存在にすら気付かない。 「………」 …なんだか急にむなしくなってきた。 その時… 「？」 の後ろから、彼女をすっ…と自分の傘に入れた者がいた。 白を基調にしたジャージ。 長い前髪の下に見え隠れする端正な顔立ち。 聖ルドルフ学院中３年の木更津　淳だった。 「あ、ありがとうございます…」 振り返ったは、今にも泣き出しそうな顔をしていた。 濡れた髪が頬や額に張り付き、雨水をしたたらせてしまっている。 「あーあ、こんなに濡れちゃって。」 木更津は自分のバッグからタオルを取り出すと、 の顔や髪を拭き始めた。 「あ…いいです、自分でやりますから…っ」 「くす、いいからじっとしてて。」 「はい…」 は、申し訳なさそうに肩をすぼめた。 先程の、可哀想なくらいに困り果てた顔。 そして、頬をほんのりと赤く染めてうつむく顔。 くるくる変わる表情が魅力的な子だな、と木更津は思った。 「はい、おしまい。」 ひととおり拭き終えてタオルをしまう木更津を、 はじいっと見つめていた。 「何？」 「あの…っ、失礼ですけど、ルドルフの… 　アヒルみたいな人とダブルス組んでた方ですよね？」 「くす、木更津　淳。試合、見てたの？」 「はいっ。私、青学の２年なんです。 　先日は、うちの部員がたいへんご迷惑をおかけしました。」 「あ…ご丁寧にどうも。」 ぺこりとお辞儀をするにつられて、木更津も頭を下げる。 「それで…アヒルさんはご無事でしたか？」 「くすくす…アヒルじゃなくて柳沢、ね。彼ならもう大丈夫だよ。」 「よかったですー。心配してたんですよ、桃って馬鹿力だから…」 ようやく笑顔になった。木更津は改めて、かわいいな…と思った。 「君、桃城君と仲がいいの？」 「はい、同じクラスなんです。 　それに薫ちゃん…じゃなくて海堂君とも幼なじみで、 　よく一緒に遊んでるんですよ。」 「ああ、あのバンダナ君ね。…くすくす、なんか意外だなぁ。」 「…よく言われます。」 雨は、まだ止まない。 一つの傘に２人。自然と肩が触れてしまう距離。 「木更津さんも、試合の時とはなんか違う感じですね。」 「そう？　どこが？」 「その…なんて言うか、もっとこう、近付きにくい人なのかと思ってて…」 「そのまんまだと思うけど？」 「そんなことないです！ 　傘に入れてくれたし…それに…拭いてくれたし…」 は、また頬を赤らめる。 「まあ、そのくらいは、ね…」 偶然見かけた君が、なぜか気になって仕方がなかった… とは言えなかった。 「そんなこと言ったの、君が初めて。君っておもしろいや。」 「そうですかぁ？」 「うん。それにあのバンダナ君を“ちゃん”付けで呼ぶなんて、 　そうそうできないよ。」 「私としてはそれが普通なんですけど…変ですか？」 「こんなこと言ったらアレだけど、彼、ちょっと恐そうじゃない？」 「みんなそう言うんですよ〜。 　薫ちゃんって、ちょっと顔が恐くて口下手っていうだけで、 　本当はすごく優しいんです。」 「へえ…」 「それに、すごく頑張り屋さん。 　私も見習わなくちゃ、っていつも思うんです。」 海堂のことを話すは、とても柔らかな笑顔を浮かべていて。 いつかこの子が自分のためにこんな顔をしてくれたらいいのにな、と 木更津は思った。 「あ、バスが来た。」 すでに暗くなり始めた道の向こうから、 ヘッドライトの光が近付いてくる。 「本当に助かりました。ありがとうございました。」 目の前にバスが止まり、ドアが開く。 「傘、持っていって。」 人の列が短くなっていく。 「バス降りてから歩くでしょ？　俺の寮、この近くだから。」 「えっ…それじゃあバス乗らないのにわざわざ…？」 「くす…いいから持っていって。」 「いいんですか？　ドア閉めますよ〜。」 運転手の声。 「あッ…す、すみません、乗りますっ…！」 は傘を受け取ると、あわててバスに乗り込んだ。 「本当にありがとうございました！」 は、窓から身を乗り出して叫ぶ。 「名前…！」 「えっ？」 「君…名前は？」 「あ…　ですっ…！ 　あのっ…傘っ…必ず返しに行きますから…っ！」 バスがゆっくりと走り出す。 木更津は雨に濡れたまま、揺れては小さくなってゆく テールライトを眺めていた。 「　、か…また会えるね…くすくす…」 　　　次に会えた時には、今日以上に。 　　　もっともっと、君のことを知りたいと思った。 Back