グロウアップ 「ゲームセット！」 関東大会第一回戦、対氷帝戦。 ダブルス１ 乾・海堂ペアは３−６で宍戸・鳳ペアに敗退 ―― 試合後、海堂は仲間達のもとを離れ、 ひとりトレーニングへと出かけていった。 ザッ ザッ ザッ ザッ … 悔しさを紛らわすため、一心不乱に走り続ける。 「薫ちゃんドンマイ、ナイスファイトー！」 そこに現れたのは、幼なじみの。 試合がある時には、たいていこうして応援に来てくれる。 それは幼なじみのよしみなのか、観戦自体に興味があるのか、 はたまた男子テニス部員達と懇意にしているためなのか、 その理由は定かではないが、 とにかく一方的ながらも想いを寄せている相手が 自分の試合を観てくれているということに 海堂はいつも心強さを感じていた。 「、か…」 思わずランニングの足を止める。 「お疲れ様、差し入れだよっ！」 は、にっこり笑って水筒を取り出した。 「……………」 いやな予感が海堂の頭をかすめる。 昔からは、自分のためにいろいろと作って持って来てくれるのだが、 お世辞にも料理が上手いとは言えない。 しかも作るのは“とろろそばチョコレートソースがけ”だの “肉じゃがのヨーグルトあえ”だの、得体の知れないモノばかり。 それでも好きな女の子が作ってくれるものなので いつもは我慢して食べていたのだが、 このときばかりは試合に負けた直後ということもあって、 少々虫の居どころが悪かった。 「今日は何作ってきやがった…？」 「試合後の疲労回復に、 特製“マムシのブツ切りミックスジュース”！」 「お前、自分では飲んでみたのか？」 「ううん。だって薫ちゃんに一番に飲んでもらおうと思って。 あ、でも試作品は不二先輩のお墨付きだよ！」 「…！！ 絶対いらねぇ…！」 「えーなんでー！？ せーっかく朝５時起きで作ったんだよー…」 「いらねぇっつってんだろ！？」 「…！」 いきなり大声を出した海堂に、はビクッと肩を震わせた。 「…すまない、しばらく一人にしてくれ…」 自責の念に駆られた海堂は、言葉少なにその場を走り去った。 「薫ちゃんのバカーッ！！ エージ先輩と桃に飲んでもらうからいーもん！ あとで欲しいって言ったって、 ぜぇーったいあげないんだからねー！！ …………… …ふーんだ。 負けちゃって悔しいのは分かるけどさ、あんな怒鳴ることないじゃん。 もういいや、タカさん先輩の応援しに行こーっと…」 くるっと方向転換して試合が行われているコートに戻ろうとしたその時… 「危ないっ…！」 「！？」 ドンッ！！ 「いた…い…」 別方向から走って来た人にぶつかり、 の体は大きくはじき飛ばされた。 「す、すみません！ 大丈夫ですか…！？」 声のほうを見上げると、大柄な少年が心配そうな表情で こちらをのぞきこんでいた。 さっぱりと刈り込んだシルバーアッシュの髪に善良そうな顔立ち。 胸元には銀色のロザリオが揺れている。 先程のダブルス１で海堂達と対戦していたペアの片割れだ。 「氷帝の…鳳！？」 「そうです、けど…？」 試合後のクールダウンの最中だった鳳は、少しばかり息を切らせて答えた。 その一方で、の中では、 薫ちゃんとケンカした ↓ 薫ちゃんは機嫌が悪かった ↓ それは試合に負けたせい ↓ 負けず嫌いの薫ちゃんはきっとすごく悔しかったはず ↓ 薫ちゃんが悔しいのはコイツのせい ↓ 薫ちゃんの敵は私の敵 ↓ コイツは敵だ …という結論が勝手に出されていた。 は、キッと鳳を睨みつける。 「あの、立てますか？ どこか痛くありませんか？」 の態度とは裏腹に優しく手を差し出す鳳だったが、 その手は即座に払いのけられた。 「触んないで！ そんなことしてもらわなくっても一人で立て…痛っ！」 タンカをきりながら勢いよく立ち上がろうとしたものの、 その瞬間足首に激痛が走り、よろけてしまう。 どうやら、衝突して転んだ際に捻挫してしまったようだ。 鳳は、倒れそうになったの体を寸前で抱き止めると、 そのまま膝の下に腕をまわして横抱きにした。 「や…何すんのよ！」 「ちょっ…暴れないでくださいよ、怪我してるんですから…」 「やだ、下ろして！！」 「駄目です！ 医務室に連れて行きますから、 おとなしくしててくださいね。」 「敵の情けは受けん！ 離せ下ろせー！」 「な、何わけの分からないこと言っ…」 バシィ！！ いやがって暴れたはずみで、 の強烈な平手打ちが鳳の顔面をとらえた…。 「つ…！ 何なんですか、俺が何したって言うんですか！？」 「べつになーんにも？」 「そ、そんな言い方って…」 「へーへー、私が悪うございましたー。どォもすゥいませェーん。」 「…！！」 どこまでも悪態をつくにさすがにムッとした鳳は、 抱き上げていた彼女の体を芝生の上に放り出した。 「きゃ…っ！」 「もう知りませんよ。俺行きますから、あとは勝手にしてください。」 そう言い捨てると、地面に倒れこんだままのを 置き去りにして行ってしまった。 「勝手にするからいいもん！ …っ！ …痛ぁ…」 ひとり残されたは、捻挫した足をかばいながら 立ち上がろうとするが、どうしてもバランスがとれずに 何度もしりもちをついてしまう。 「…早く…っ、みんなのところ、戻らなきゃ…痛っ！」 自分で立つことすらできない焦りと、そのたびに襲ってくる痛みに、 涙がにじんできた。 「早く…行かなきゃ…タカさん先輩、頑張ってる、のに…ッ！ …え？」 その時、再び目の前に大きな手が差しのべられた。 その先には、鳳のちょっと困ったような、不器用そうな笑顔。 は、すがるような目で彼を見上げた。 「一人じゃ無理ですよね？ 一緒に行きましょう、ね？」 「うん…」 鳳はの手を引いて立ち上がらせ、 服にくっついた芝を払うと、先刻のように抱き上げようとした。 「あ、抱っこはやめて…恥ずかしい…」 「そうですね、ごめんなさい…」 そこで鳳は、に肩を貸すことにした。 とは言ってもあまりに身長差があるので、 実際には脇から支えるといった形だが。 「あ、そこ段差があるので気を付けてくださいね。 痛かったら言ってくださいね。無理してませんか？」 少し歩くたびにこんな調子でを気遣う鳳。 そのあまりの献身ぶりに、は申し訳なくなって頬を赤くした。 そして、ようやく謝罪を口にする。 「あの…ごめんなさい。 せっかく親切にしてくれたのに、あんな態度とっちゃって… 最低だよね、私…」 「あ…いいですよ。 それより俺のほうこそ、乱暴にしてしまってすみません。 その制服、青学のですよね？ 俺達のこと、怒りたくなるのも分かりますから…」 「ご、ごめんなさい！ 薫ちゃ…じゃなくて海堂君て負けず嫌いで、 すごくショック受けてるんだって思って、それでやつあたりしちゃって… …とにかくほんとにごめんなさいっっ！！」 「もう、いいんです。友達想いなんですよね、…えっと…名前…」 「 。って呼んで。」 「友達想いなんですよ、さんは。」 「…………………」 「さん？」 は、何も言わずに目を伏せた。 そんな彼女の横顔を、鳳は不思議そうにのぞきこむ。 しばらくそのまま押し黙っていただったが、 再び視線を上げると、正面を向いたままぽつりぽつりと話し始めた。 「私も、テニスやってるの。 負けたら悔しいと思う。誰にも負けたくないと思う。 薫ちゃんだっておんなじ、誰にも負けてほしくない。 薫ちゃんが負けるのを見るのは、自分が負けるのよりもっといや。 いつも薫ちゃんが頑張ってるの知ってるから、余計にそう思うのかな。 対戦相手のこと…薫ちゃんに勝った人達のこと、 敵だって思っちゃいけないのに、分かってるのに…」 そこまで一気に話すと、は声を詰まらせた。 鳳はの体を支えたままその正面にまわると、 憂いに染まった瞳の奥をじっと見つめた。 その真剣な眼差しに、は思わず息を飲む。 「俺は、感謝してます。」 「え…っ？」 「海堂君にも、乾さんにも。」 「感謝…？」 「はい。お二人には、ダブルスにとっていちばん大切なもの… パートナー同士の信頼を教えていただきました。 試合の中で、自分のサーブに欠けているものも、 なんとなくですけど分かってきましたし… そうやって、自分自身も成長していけるような気がするんです。 …あ、ごめんなさい、うまく説明できなくて… それになんか偉そうなこと言ってますよね、俺… ただ、お二人と試合ができて良かったって…」 「ううん、いいの。鳳君が、きっと正しいよ。」 「すみません…」 そこで突然、がクスクスと笑い出す。 「…？ あの…っ、俺、何か変なこと言いました？」 「違うの。うちら、さっきっから謝ってばっかりだなーって思って…」 「だ、だってもとはと言えばさんが…！」 「そうでした。ごめん …って、まただぁ…」 「ははっ…」 「あははは…」 声をあげて笑い合う２人。 先程までの刺々しさは、もうどこにもなかった。 ザッ… そこに近付いてきた人影に、先に気付いたのは鳳。 彼に促されてが振り返ると、 そこには自分を探しに来た海堂の姿があった。 「薫ちゃん…」 「さっきはすまなかった…、その…でかい声出しちまって…」 「……………」 は、何か思い立ったように突然鳳の手をとると、 捻挫していないほうの足でケンケンをしながら 海堂のもとへと連れて行った。 「…？」 「…？」 そしてもう片方の手で海堂の手をとると、 ２人の手を重ね合わせてしっかりと握手をさせた。 「…ね？」 鳳の顔を見上げ、にっこりと笑う。 「はいっ…！」 「？？？」 照れくさそうにほほえむ鳳と、困惑した表情の海堂。 羽ばたきだしたなら、止まることなく突き進めばいい。 傷を負ったなら、もう一度立ち上がればいい。 まだまだ、これから ―― Back |