存在 「やーい、やーい。」 「ヘンな名前、女みたいな名前。」 「なんとか言えよ弱虫。」 「やーい、やーい。」 「やめてよ！ 薫ちゃんをイジメないで！ 薫ちゃんをイジメるヤツは私が許さない！！」 「げ、だ…！」 「怖えぇ、逃げろ〜！」 「もう大丈夫だよ。ケガしてない？」 「う…っ…」 「薫ちゃん…？」 「ちゃ…ん…うわあああん…」 「もう、薫ちゃんは泣き虫なんだから。」 「薫ちゃんには、私がついてるからね…」 …………… ＊ ＊ ＊ 「（夢…か…）」 海堂は頭を抱えながら、布団から上体を起こした。 目覚めの気分は最悪である。 「（…なんだって今になってガキの頃の…胸クソ悪ぃ…）」 …………… それから数時間後。 は、ムスッとしながら一人で登校していた。 「（一緒に行こうって約束してたのに、急に朝練が入っちゃうなんて… 薫ちゃんのバカ〜！ …っていうか手塚先輩のバカバカ仏頂面〜！！）」 仏頂面は言いすぎな気がしなくもないが、 手塚の発案で始まった男子テニス部の早朝練習のために 置いてきぼりを食らってしまったのである。 「まったく、やんなっちゃう！」 昇降口に着き、腹立ちまぎれに勢いよく下駄箱のフタを開ける。 すると… パサ… 中から、４つに折られたルーズリーフが一枚、落ちてきた。 「ん？ なんだろ…？」 広げて読んだとたんに、その表情がこわばる。 『 さん 放課後、屋上に一人で来て。 逃げたり、誰かに言ったりしたら、承知しないからね。』 よくよく考えれば、思い当たるふしがないわけではない。 女子テニス部のエースで、成績も上位。 目がぱっちりと大きく、かわいらしい容姿。 青学のアイドルと言っても過言ではない。 それゆえ、誰かから妬みを買うこともあるかもしれない。 だが、自身にはそのような自覚が全くなかったのだ。 ＊ ＊ ＊ は、重く沈んだ気分で一日を過ごすことになった。 「（どうしよう…なんか怖いな…薫ちゃんには言おうかな… でも“誰にも言うな”って書いてあったし…ホントどうしよう…）」 「…、ってば！」 「！！」 クラスメイトに声をかけられて、はっと我に返る。 「どうしたのー？ なんか今日、変だよ？」 「あ、あのね…私…」 「何？ どうしたの？」 「あっ…ううん、なんでもない。」 「？？？」 昼休みになってもそんな調子で。 「ー。俺これから購買行くけど、一緒に行くか？」 「おなかすいてないからいい…桃、行ってきていいよ。」 「そうか？ 珍しいなー、が昼メシいらないなんて。 じゃ行ってくるわ。ハラヘリハラヘリハラヘッタ〜♪」 「……」 なぜかその日は、時間が経つのが遅かった。 結局、は手紙のことは誰にも話さなかった。 ＊ ＊ ＊ そして、ついに放課後になってしまった。 「（私は…なんにも悪いことしてない…！）」 自分に言い聞かせながら、屋上への扉を開いた。 強く吹きつける風に、髪や制服のスカートが翻り、 はとっさに目を閉じる。 再び目を開けて前を見ると、そこには面識のない 女子生徒が３人、立っていた。 上履きの色から、３年生であることが分かる。 「本当に一人で来たんだ…意外と度胸あるのね。」 ３人は意地悪そうな笑みを浮かべながら、にじり寄ってくる。 自分よりも体の大きい上級生に囲まれて、 は泣き出しそうなほどの恐怖を感じたが、 それを悟られないようにキッと鋭い視線を向ける。 「私に…なんの用ですか…？」 しかしその声は、かすかに震えていた。 「目障りなのよ。」 「えっ…？」 「分からないみたいだから、ハッキリ言うわ。薫君のことよ。」 「薫…ちゃんの…？」 知らず知らずのうちに、は壁ぎわに追いつめられていた。 「幼なじみだか何だか知らないけど、ベタベタしちゃってさ。」 「私らの中には本気で薫君のこと好きな子もいるのよね。」 「だからあんまり薫君につきまとわないでほしいの。」 は、ようやく自分が呼び出された理由が分かった。 だがあまりに身勝手な彼女達の要求に答えるすべもなく、 「そんな…私はただ…」 などと、口走ることしかできずにいると… 「いい子ぶってんなよ！！」 肩を突き飛ばされ、壁に叩きつけられたは、 そのままズルズルと床に座り込んだ。 先輩達は、なおも罵声を浴びせ続ける。 「ちょっとテニスができるからって、イイ気にならないでよね。」 「自分だけ特別、とか思ってんの？」 「他のテニス部の人達もたぶらかそうとしてんじゃないの？」 「…！」 あることないこと言われ、頭にきたは、 服のほこりを払いながら立ち上がった。 「それじゃあどうして先輩達は、薫ちゃんに“好き”って言わないんですか！？ 私にそんなこと言われたって、困るんです！」 だがそれは、先輩達の神経を余計に逆なでして。 「生意気なんだよ２年のくせに！！」 ―― パンッ！！ は、頬を思いきり平手打ちされた。 「口答えするんだ…？」 「ホントむかつく…」 「正直、消えてほしいよね…」 冷ややかな先輩達の声に、は只事ではない雰囲気を感じとった。 だが、気が付いた時はすでに遅く、３人はに向かってきていた。 顔を殴られ、髪を引っぱられ…。 床に倒れこむと、今度は蹴られて、踏みつけられて…。 抵抗することもできず、ただ解放されるその時を待つだけだった。 「（痛いよ…助けて…薫ちゃん助けて…！）」 ほんの数分間が、永遠のように感じられた ―― ＊ ＊ ＊ 唇や額には血がにじみ、視界もぼやけている。 意識が朦朧とする。 感覚という感覚は全て失われていた。 もう、痛みすら感じない。 やがて、３人の中のリーダー格と思われる者の指図で、 他の２人がを両脇から支えて立ち上がらせた。 リーダー格はの髪をつかんで上を向かせると、 勝ち誇ったように言い放った。 「アンタさぁ…薫君の迷惑、考えたことある？ アンタにしつこくつきまとわれて、本当は薫君、迷惑してんじゃない？」 「（薫ちゃん…私のこと…迷惑…？）」 冷たい言葉が頭の中を巡る。 ものを考える力さえ残されておらず、 涙だけがぼろぼろと頬を流れ落ちた。 それでも、間近で見るの顔はとても綺麗で。 それが、嫉妬に火をつけた。 「泣けば済むとでも思ってんのかよ！？ アンタなんか…！」 リーダー格は、ポケットに忍ばせたカッターナイフを取り出した。 「一生薫君に会えない顔にしてやるよ！！」 うつろなの瞳に、鈍く光る刃先が映る。 だが、その時 ―― 「 ―― ！？」 カッターナイフを振り上げたその手首が、がっしりとつかまれた。 「やめろ…」 の耳に、聞き慣れた低い声が届いた。 両脇を固めていた２人が後ずさりをし、 支えを失った体は、その場に崩れ落ちた。 「薫…君…！？」 頭上で、声がする。 「ちっ違うの。これは…」 「…女を殴るような真似はしたくねぇ…とっとと失せろ！！」 「ひっ…！ ご…ごめんなさい…！」 バタバタバタ ―― ！ けたたましい足音を響かせて、先輩達は逃げるように走り去っていった。 ＊ ＊ ＊ 「っ…！」 海堂がを抱き起こすと、その体は恐ろしいほどにぐったりしていた。 「すまない…俺のせいで…」 声が震えている。 は彼をなだめるかのようにその頬に手を伸ばすと、 かすれた声で言った。 「薫ちゃんのせいじゃないよ…私が悪いんだ…」 「何か…言われたのか…？」 「もういいよ…私のことなんか…迷惑なんだよね？ 私…薫ちゃんのこと、なんにも考えてなかったよね…ごめんね…」 「あいつらの言ったことなんか気にするな。」 「…優しいね…薫ちゃんは…」 は、苦しそうにほほえんだ。 「…違う！！」 海堂は、の肩をがっしりとつかむと、 いつになく大きな声で否定した。 そして、ゆっくりと、言い聞かせるように告げた。 「俺は…お前がいて良かった…それが、本当だ…」 「…薫…ちゃぁん…」 瞳から、涙があふれた。 「薫ちゃん…薫ちゃん…」 「大丈夫だ…ここにいる。」 海堂は、泣きじゃくるの体をぎゅっと抱きしめ、 その髪をなでてやった。 「こういうことがあったら、すぐに俺に言え。」 「でも…」 「いいから言え。 …今度は…俺が守ってやる…」 を抱きしめながら、海堂は思い出していた。 何度もに助けられた、幼い日々のことを。 ＊ ＊ ＊ その翌日 ―― 男子テニス部の朝練に合わせて、 海堂とは２人で登校していた。 通学路には、まだ誰もいない。 は、バンソウコウだらけの痛々しい姿だったが、 すっかり元気を取り戻していた。 「ねぇ、薫ちゃん。」 「…なんだ。」 「どうして昨日、屋上にいるって分かったの？」 「さあな…」 「どうして？ 気になる〜。」 「……… …朝練が入っちまったから、帰りぐらいは…その…」 「じゃあ探してくれてたんだ。…ありがと。」 「…チッ」 妙な夢が気になって、実は必死で探していた…とは言えなかった。 海堂の少し前を歩いていく。 ちょこちょこと歩く後ろ姿がかわいらしくて、 思わず笑みがこぼれそうになる。 すると、がいたずらっぽく笑って言った。 「あの先輩達ね、薫ちゃんのこと好きなんだって。 薫ちゃんて、結構モテるよね〜。」 「ばか野郎！ んなモン関係ねぇ…」 「俺が好きなのは……ッ……」 不意に出かけた言葉に、はっと口をつぐむ。 「ん？ 何か言った？ 薫ちゃん…」 きょとんとした顔で、が振り返る。 「…フン…なんでもねぇよ。行くぞオラ。」 「うん…？？」 ２人はまた、何もなかったかのように歩き始めた。 早朝のひんやりした空気が、少しだけほてった頬に心地良かった。 Back |