０ゲーム＆恋ゲーム（ラブゲーム） 「不二先輩、試合しましょっ！」 傍から見たら当たり前ではないけれど、 本人にとってはごくごく当たり前なこと。 「この前試合した時は私、全然歯が立たなかったでしょう？ あれから猛特訓したんで、その成果を見てほしいんです！」 休み時間、廊下で不二の姿を見つけたは、 ぱたぱたとその後を追いかけながら試合を申し込んだ。 突然の、宣戦布告。 とは言っても、これが初めてというわけではない。 不二も、慣れた様子でそれに応える。 「そうだね。じゃあ部活が終わったら男テニのコートで待ってるよ。」 「はいっ。今日はちょっと自信あるんです！」 は、嬉しそうに笑った。 天性のテニスセンスと華麗な返し技で、 “天才”“青学Ｎｏ．２”といった通り名を持つ不二。 そんな彼に、女の子でありながら勝負を挑むなど、 無謀以外の何ものでもない。 だがは、平気でそういうことをやってのける。 約束ですよーなどと叫びながら走り去っていく。 「くすっ…かわいいね… （本気で勝てると思ってるトコロなんかも、ね…）」 不二は、思わず笑みをこぼすのだった。 ＊ ＊ ＊ そして、放課後 ―― 「いい試合にしようね。」 「はいっ！」 ネットをはさんで握手をする２人。 ここで不二が、ある提案を持ちかける。 「ねえ、せっかくだから何か賭けてみない？」 その申し出に、も乗ってくる。 「おもしろそう！ でも何賭けるんですか？」 「それはさんが決めていいよ。」 「んーっと… …試合だから、負けたほうが勝ったほうの言うことなんでも聞くとか？」 「いいね、それ。」 「じゃあソレで決まりですね。 私、勝ったらクレープおごってもらう！ 先輩は？」 「うーん…勝てるかどうか分からないから、 もし勝てたらそのとき考えるよ。」 初めから、結果は見えていた。 が不二に勝てるわけがない、と。 それでもは、相手が男子だろうと“天才”だろうと 勇敢に立ち向かっていく。純粋に試合を楽しんでいる。 自分を特別扱いしない。 不二は、彼女のそんなところに心魅かれているのだった。 そして、試合は０（ラブ）ゲーム ―― 「はぁ…やっぱり不二先輩は強いや…」 「ふふ…さんも、この前よりずっと強くなったね。」 「先輩にはまだまだかなわないです。もっと強くならなくっちゃな。 …あ、そうだ！ 賭けしてたんですよね。 先輩のお願い、何にします？ 私、先輩の言うことなんでも聞いちゃいます！」 目を輝かせて半ば楽しみに指示を待つを見て、 不二は柔らかくほほえんだ。 「うん…それじゃあ…」 「今日一日、僕の恋人になって。」 “今日一日”という条件を抜きにすることもできた。 だけど、そんな冗談まじりに手に入れたいとは思わなかった。 「え…………っ？」 「さんは今日一日、僕の恋人だよ。それが、僕からのお願い。」 「そんな…」 「どうしたの？ お願い、聞いてくれるんじゃなかったのかい？」 「でも…私、どうしたら…？」 「そうだね。…じゃあ、一緒に帰ろうか。」 「は、はい…」 ＊ ＊ ＊ 他の生徒達はすでに下校した後で、 通学路には２人以外の姿はなかった。 は恥ずかしそうにうつむいたまま、不二の隣を歩いていく。 「あ、君はこっちね。」 不二は、車道の側を歩いていたと位置を入れ替える。 それまで緊張のせいで押し黙っていたは、 ほっとした表情を浮かべた。 「“恋人”って言っても、やってること普段と同じですよね。」 そして不二の顔を見上げて笑う。 「だって一緒に帰るのも初めてじゃないし、 先輩いつも私に優しいですし。」 「そうかな？」 「え…？」 不二の細くすっきりした右手が、の小さな左手を包み込んだ。 その瞬間、心臓が跳ね上がったような感覚。 は、少しうろたえた様子で不二を見る。 だが不二は、いつもと変わらぬ笑顔で、 まっすぐに前を向いたまま歩いていた。 は、なぜ不二がこんなことをしたがるのか分からずにいた。 あくまで彼女にとっての不二は“優しい先輩”であり “尊敬するプレーヤー”だからだ。 不二は、何も答えてくれない。見つめても、何も分からない。 ただ、綺麗な横顔だな、とは思った。 ＊ ＊ ＊ 途中、公園の入り口に差しかかったその時… 「」 突然名前を呼ばれ、視界が揺らいだかと思うと、 「…！」 気が付いた時にはもう、不二の両腕が背中にまわされていた。 「ちょっ…せ、先輩っ！！？」 不二に抱きしめられる形になったは、頬を真っ赤に染めて叫んだ。 なんとか離れてもらおうとワイシャツの背中を引っぱるが、びくともしない。 一方の不二は、お構いなしというかんじで、腕の力をさらに強めた。 「恋人なら、これくらい当たり前でしょ？」 「や…こんなこと…」 「彼氏の言うことは聞くもんだよ？」 「で、でも…恥ずかし…」 「僕は、聞き分けのいい子が好きだよ。」 耳元で吐息まじりに囁かれ、全身の力が抜ける。 抵抗をやめたその体を、不二は優しく抱きとめた。 「そう…いい子だね。」 細長い指が、髪を梳いていく。 不二の肩越しに、ぼんやりと公園の風景が見える。 いつもの砂場。 いつものブランコ。 いつもの植え込み。 そして、いつもの ―― 「！！」 は何か思い出したように突然不二の手を離れると、 公園を横切って一直線に走り出した。 不二も、あわててその後を追う。 どこからか、小麦粉の焼ける独特の匂いが立ちこめてくる。 この匂いは、由美子姉さんがよく作っている…？ 「おじちゃんっ！」 立ち止まり、が呼びかけたその先には、 縁日で見かけるような屋台店が一軒。 中では、中年の男がクレープを焼いている。 「お、いらっしゃい嬢ちゃん。今日はカレシと一緒か？」 「へへー、残念でした。学校の先輩でーす。」 お世辞にも人相が良いとは言えない男だが、 とはすっかり顔なじみのようだ。 「おじちゃんいつものやつ、 イチゴチョコホイップのアイス入り、くださいな。」 「あいよー。」 「あ、ホイップおまけしてね！」 どうやらは、この店の常連らしい。 「さん…」 「あ、不二先輩。いきなり走ってっちゃって、ごめんなさい。 ここのクレープ、すっごくおいしいんですよ〜。 私が勝ってたら、先輩におごってもらえたのにな〜…」 心底残念そうに、口を尖らせる。 そんなことを言っている間に、クレープは焼き上がった。 「はい、300円ね。」 「うん…あれ…？ あ…？」 「どうした嬢ちゃん？」 「あ゛ー！ おサイフ学校に忘れたぁー！！」 、大絶叫。 「不二せんぱ〜い…」 「はいはい…」 大きな目をうるうるさせるを見かねて、 不二は苦笑しながら代金を支払った。 ＊ ＊ ＊ 試合に勝ったにもかかわらず、 結局不二がおごる羽目になってしまった。 「不二先輩、すみませんでした。」 たいして悪びれた様子もなく、嬉しそうにクレープにぱくつく。 先程不二に抱きすくめられたことなど、もうすっかり忘れている様子。 契約違反のはずなのに、笑って許してしまえるから不思議だ。 「コレおいしいですよー。先輩もちょっと食べてみます？」 「まったく、さんにはかなわないな…」 「…？」 試合は６−０で不二の圧勝。 だけどきっと、この恋は０−６で不二の完敗。 Back |