あの日見た夏空の下で 「その制服、青学のですよね？ 俺達のこと、怒りたくなるのも分かりますから…」 ―― 夏空の下で、俺達は出会って。 「俺…っ、勝ちたかったで…す… みんなと…一緒にッ、全国…っ、行きたかっ…た…っ…」 ―― 涙して。 「約束します。宍戸さんがいなくなっても…来年はもっと上に行く。」 ―― 誓いを立てて。 そこにはいつも、よく晴れた夏空とあなたの存在がありました ―― ＊ ＊ ＊ 「チョウタすごいね…私、薫ちゃん達だけじゃなくて、 チョウタのことも応援してるからね！」 「ほ、本当ですか！？ さんが応援してくれるなら俺、もっと頑張りますから！」 「うんっ。」 全国大会が終わって数週間後。 氷帝学園男子テニス部はこれで本当に３年生が引退、 新しい部長は日吉に決まって、俺は副部長になって、 （「チョウタが部長じゃないなんて！」って、さんはすごく怒ってくれてたけど）、 俺達は秋の新人戦に向けて新体制で動き始めた。 その矢先のことだった。 関東大会と全国大会のときのレギュラー全員が、 特例としてU-17日本代表候補の合宿に召集された。 最初に聞いたときは半信半疑で、 実は今でもまだちょっと実感がないんだけど、 引退してしまった先輩方と、宍戸さんと、まだまだ一緒にテニスができる。 それがとても嬉しいんだ。 「…ね、せっかくだしさ、お茶でも飲んでかない？ すぐ近くに紅茶のおいしいお店見つけたんだ。 今日は私のおごり！ 合宿に呼ばれたお祝いだよっ！」 「えっ…あ…ありがとうございます！」 さんも、本当に嬉しそう。 学校が違う俺のために、こんなに喜んでくれるなんて…。 さんは俺の手をとると、帰り道をいつもと違う方向に曲がろうとした。 そのときだった。 「よォ…」 「…ッ！！！」 俺にとってはよく知っている顔。 そして、さんにとっても…。 「や…！」 さんはとっさに、俺の脇に隠れるように逃げ込んだ。 「日本代表候補おめでとう、正レギュラーの鳳君。」 「いいよなあ、レギュラーの奴らは。 俺らなんか、どっちにしたって呼ばれやしねえもんなぁ。」 「まあ、せいぜいノーコンサーブかまして恥かかねぇように頑張れよ。」 あからさまに棘のある、祝福の言葉。 無意識のうちに自分の表情がこわばっているのが分かった。 一度もレギュラーになれないまま引退した３年生の先輩方。 その中でもこの人達は、何かにつけて俺のことを 目の敵にしていたようだった。 でもそれはきっと俺に悪いところがあったからで、仕方がないことだと思う。 だけどこの人達は、さんにまで手を上げたんだ。 俺を苦しめるために、俺と親しいからという理由で…！ 「……………！」 彼らと目を合わせないようにうつむき、 俺のワイシャツの裾をぎゅっと握りしめているさん。 負けん気が強くて、こういうときはいつだって 俺より前に立ってくれているさんだけど、 あのときのことがフラッシュバックしているのだろう、 その体は小刻みに震えていた。 「なんだよお前ら、まだ続いてたんだ？」 「てっきりダメになったかと思ったぜ、 俺らが鳳の本音代弁してやったからな？」 「…！！ やっぱり…やっぱり先輩方が…！」 「チョ…タ…怖い…早く、行こう…？」 明るくて気丈なさんがこんなに怯えてる。 無理もない、彼らに汚い言葉でなじられて何度も叩かれて、 それにもっとひどいことまでされそうに…。 思い出したとたん、怒りがこみ上げてくる。 「どうして…どうしてですか！？ どうしてさんにあんなことを…！」 「チョウタやめて…叩かれる…やだ…」 「俺が気に入らないのなら、俺を殴れば良かったんです。 気が済むまで、俺を殴れば良かったんです。 それなのに俺じゃない、さんに手を上げるなんて… そんなこと許されるはずがない！」 チッ…と舌打ちをする先輩。 「フン、いい子ぶりは相変わらずかよ…ああそうかよ、そんなら…」 俺は胸ぐらをつかまれる。 「そんなら望みどおりブン殴ってやるよ。 もう生意気な口きけねぇように… もう二度とテニスできなくしてやってもいいんだぞオラァ！？」 殴られる…！ …だけど…俺には…！ 「チョウタぁ！」 さんの悲鳴。 追いかけ続けてきた宍戸さんの後ろ姿と、 俺を見上げるさんの笑顔が 見えた、気がした ―――― ………………………… 「……………？」 痛みはなく、確かめるように視線を戻す。 そこには、驚いたような、どこか怯えてさえいるような先輩方の表情。 「なんだよコイツ…なんで怖がらねぇ！？」 「前みたくベソかいてみろよ、泣いてみろよ…！」 俺は、目の前で止められた拳を振り払う。 「…もう俺はあの頃のままじゃない。 負けないって、強くなるって決めたんです。 さんを傷つけるなら、たとえ先輩方でも容赦はしませんよ…！」 そのときの俺は、思い出してみれば自分でも驚くくらい毅然としていて。 「くそっ…行くぞ！」 「ちくしょう…！」 気まずそうに走り去っていく先輩方。 張り詰めていた気持ちがほぐれて、体の力ががくっと抜ける。 …そうだ、さん…！ 俺は、ちゃんとさんを守れた…！？ 振り返ってみると、さんは未だ不安そうな表情で 立ち尽くしていた。 その存在に、俺はほっと胸をなでおろす。 「…さん、もう大丈夫です。」 「…チョウタぁ…」 歩み寄って声をかけたとたん、 さんは真正面から俺にきゅうっとしがみついてきた。 「ん？ さん…？」 「……………」 さんは甘えるように、俺の胸に顔を押しつける。 ああ、きっと怖くて怖くてたまらなかったんだ…。 「さん…大丈夫、怖くないです…」 「…うん…」 小さく頷いたさんの髪をなでてあげる。 安堵とも愛おしさともいえる温かい気持ちでいっぱいになる。 「安心して…もう、怖くない…」 ＊ ＊ ＊ どれだけの時間、そうしていただろう。 すごく長かったような、でも短かったような。 その間、さんは一言も発しなかった。 「さん…」 「……………」 「…さん、どうしちゃったんですか？ 先輩方、もう戻って来ませんよ。 まだ怖いですか？ もう少し、こうしていたいですか…？」 「……………ふふっ」 「え？ さん？」 さんは俺のシャツに顔をうずめたままでひとしきりくすくすと笑うと、 それからすごく綺麗な笑顔で俺を見上げて言った。 「チョウタは強くなったね… 友達になってからまだちょっとしか経ってないのに、 すごく強くなった。 テニスしてないときは泣き虫の甘えんぼさんだと 思ってたのがウソみたい。 今、そう思ってた。」 「そ、そんなこと考えてたんですか…！？ 俺、てっきり怖くて離れられないのかと… それに泣き虫で甘えん坊って、あんまりですよぉさんっ…！」 「いいの！ だって怖かったのは…その…ほんとだもん。 それに…テニスしてるときのかっこいいチョウタも、 そうじゃないときの優しいチョウタも、 …私のこと守ろうとしてくれた強いチョウタも、 全部ほんとのチョウタなんだから。…ね？」 そう、この笑顔だった。 いつだって俺を支え、前に進む勇気を与えてくれたのは。 あの日も、あの日も、あの日も… …………… 「ねえチョウタ…私達が初めて会ったときのこと、覚えてる？」 「はい…関東大会の初戦で、青学と氷帝が対戦したときでしたよね。 あのときのさんてば、すごく態度悪くて。 今思い出すと…ははっ…」 「もぉ、アレは忘れてってばー… だってしょうがないでしょ、あのときは敵同士だったんだから…」 「でも、青学と対戦したからさんに会えた。」 「そう、それでちょっとだけケンカして…いっぱい仲良しになれた。」 「はい…」 「あのときも、今日みたいに晴れて暑かったよね。」 「そうですね…合宿まであと２か月か、その頃にはもう秋ですね…」 「うん…まだまだ暑いけど… ちょっとだけ、空が高くなった気がするよ。」 小さな手のひらをいっぱいに広げて太陽にかざすさん。 つられるように、俺も空を仰ぐ。 あの日と同じ夏空が、今日も広がっている。 見上げるたびに、どこまでも続くこの蒼さに俺は想いを馳せる。 ―― この夏空の下で、俺達はどんな明日を見つけるのだろう、と。 Back |