A Hanging Out 木々の葉に朝露の残る雨上がりの休日。 青学女子テニス部員達は、学校のコートに集まり自主連をしていた。 「来週は久々に不動峰との練習試合だからね、 　みんな気を抜かないで勝ちに行こう！」 打ち合いをしている部員達に向かってが気合いを入れる。 そこに、コートの入口付近で玉拾いをしていた１年生が駆けて来る。 「先輩、お客様です…」 振り返ると、その隣には大きなリュックを背負った財前が立っていた。 「急にどうしたの光君！？」 「どうしたって…顔見とうなったから来たんスわ。」 話を聞いてみると、昨晩大阪を出発して東京行きの夜行バスに乗り、 今朝到着したのだという。 「連絡すんのすっかり忘れとったんやけど、せやかて、 　機械オンチやからスマホまともに使えへんやろ？」 「それは否定できないんだけど… 　どうして今日部活だって分かったの？」 「先にんち行ったらおらんくて。 　おじさん、おばさんにも挨拶して、朝ご飯いただいてきたで。」 「ええっ、うちに来たの！？」 「住所知っとんのやから、Googleマップで一発や。 　食べたい言うとったグランカルビー、 　買うてきておばさんに渡しといたさかい楽しみにしとき。 　梅田の阪急限定やで。」 「あ、ありがと…」 「にいちばんに聴いてほしゅうて、新曲も持ってきたんや。 　再生の仕方はこないだ教えたったからもう分かるやろ？」 財前は、にスマホとヘッドホンを手渡した。 「…光君って…冷めてるようで意外と行動力あるよね。」 「思い立ったが吉日、っスわ。」 にとって東京・大阪間は新幹線で移動するとてつもない長距離であり、 それを淡々とやってのける財前に感心してしまう。 「ねえ、あの人誰？」 「ちゃん、彼氏できたの？」 「超イケメンじゃない？」 「関西弁だよね？　どこの人？」 ２人が話をしている間にも、女子部員達はざわつき始めている。 「あの人…どこかで見たことある。」 「四天宝寺の人じゃない？　私、試合見てた！」 「え、じゃあ『ぜんざいのブログ』やってる人？」 「私知ってる！　うちとの試合の後、 　ちゃんと撮った写真載せてたよね！？」 「え、ちょ、私ファンなんだけどー！」 いつの間にか、２人は部員達に囲まれていた。 「あのッ…四天宝寺の財前さんですよね！？」 「ブログいつも見てます！」 「もし良ければ、一緒に写真撮ってもらえませんか…？」 このあたりまでは“人気ブロガーを生で見たファンの反応”だったのだが、 なんだかおかしな方向に向かい始めたようで… 「財前さんって、四天宝寺で天才って言われてるんですよね？」 「せっかくだから、テニスしてるとこ見たいです！」 「それならもう、テニス教えてもらっちゃおうよ！」 「「さんせーい！！」」 …女子中学生の発想というのは恐ろしいものである。 「ちょっ…みんな、光君は長旅で疲れて…」 が止めに入るものの、財前は大丈夫というようにそれを制した。 彼女の手前、部員達を邪険に扱うわけにもいかなかったのである。 「正直、驚いてますわ。 　青学とはあないな試合をしてもうたのに、 　ここまで応援してもらえとるなんて。」 「光君…」 財前はリュックに挿していたラケットを抜き取ると、 コートに向かって歩き出した。 「しゃーないっスね…ほな、始めまひょか。」 「すごーい、ホントに“しゃーない”って言うんだー！」 いつもはネット上でしか接することのできなかった 財前本人の登場に沸き立つ部員達。 「はしゃぎすぎや…アンタらアホっスか。」 「キャ ―― ッ、生“アホっスか”いただきましたー！！」 ＊　　　　　＊　　　　　＊ 「財前さんカッコイイー！」 「こっち向いてー！」 財前がショットを打つたびに上がる黄色い歓声。 あれからゆうに３時間は経過しているものの、 いまだに解放される気配はない。 「はぁ…アホらし。」 自分から引き受けたものの、と２人で過ごす時間が 減っていくことに少しずつ焦りと後悔を感じ始めていた。 もう切り上げたいとばかりにのほうを見ると、 邪魔をしてはいけないと思っているのか、 コート脇に腰掛けて財前のスマホで彼の新曲を聴いていた。 目が合うたび、“ごゆっくり”とでも言っているかのように にこにこと笑いながら手を振ってくる。 「…俺の気も知らんと、アホすぎるやろ…」 財前は、深くため息をついた。 ＊　　　　　＊　　　　　＊ それからさらに数時間後。 すでに空は紅く染まっていた。 「堪忍な、。こんなつもりちゃうんかったんや。」 「そんな、謝らないで？ 　光君にコーチしてもらえて、みんな喜んでたよ。 　むしろ、お礼を言わなくちゃいけないくらい。」 自主練を終えてから遅い昼食を食べ、池袋で遊んだ帰り道。 制服姿のは、ROUND1のクレーンゲームで取ってもらった 人気キャラ“うさいぬ”のぬいぐるみを抱えている。 「なんや買い物とゲーセンで終わってもうたわぁ。」 「もっと時間があれば、サンシャインの展望台にも行きたかったな。 　私、高いところ好きなんだ。」 「ほんなら次こっち来た時は、あべのハルカス連れてったるわ。」 「それってサンシャインより高いの？」 「せや、都庁や六本木ヒルズよりも高いんやで。」 談笑しながら歩く２人。 ちょうど夕方の散歩の時間帯のようであり、 周囲には犬を連れた人が何人も行き交っている。 「そういえば…光君ちのワンちゃんは元気にしてる？」 「ああ、ようミルク飲んでスクスク育っとるで。」 画像を見せようとスマホを取り出した矢先。 「ハチ、ハチー！！」 小さな女の子が橋から身を乗り出して叫んでいる。 ２人が駆け寄って見ると、その下を流れる川で子犬が溺れていた。 昨晩の雨で川は水かさを増しており、 子犬の姿は波間に見え隠れしながら小さくなっていく。 「…！」 は、とっさに橋の欄干に片足をかけた。 「…？」 「この川…結構深さがあるんだ。」 「…は？」 またたく間に制服のブレザーを脱ぎ捨てると、 欄干を蹴って頭から川に飛び込んだ。 「っ…！！？」 流れは思いのほか激しく、 その体はみるみるうちに下流へと押し流されていく。 「（絶対に助ける…！）」 濁流に飲まれ、意識を失いそうになりながらも 力を振り絞って泳ぎ続けた。 …………… やがて子犬を抱えて這うように川から上がったのもとに、 財前と女の子が駆けつける。 「キャン、キャンキャンッ！」 「ハチ！　良かった、良かったよぉ！」 子犬はの手を離れ、泣きじゃくる女の子の胸に飛び込んだ。 「…っ、ごほっ、ごほっ…！」 は川辺にぺたりと座り、咳き込んでいた。 かなりの体力を消耗したようで、立ち上がることができない。 視界に入った財前のスニーカーに気付き、 顔を上げようとした、その時 ―― 「この…ッ…ダアホ！！」 「ッ…！？」 一瞬、何か起きたのか分からず、 は反射的に肩をビクッと震わせた。 ―― それは、初めて聞いた財前の怒鳴り声。 「………」 髪から滴り落ちる水が、ひどく冷たい。 「ホンマ…何考えとんのやお前…」 悲痛に震える声。 座り込んだまま財前を見上げると、 その顔は今にも泣き出しそうなほど苦しげに歪んでいた。 これまでに見せたことのない、感情をあらわにした表情。 「光…く…」 次の瞬間、は強い力で財前に抱きしめられていた。 「光君…濡れちゃうよ…」 「知るかボケ。」 財前はさらに腕に力を込める。 「俺の見とる前でに死なれたりなんかしたら… 　もう生きてけへん。俺も後追って死ぬで…？」 「光君…泣いてる？」 「泣いてへん、アホちゃうか…」 はそっと体を離すと、少し困ったように ほほえみながら財前の頬に触れた。 「うそつき。」 そして首に腕を絡め、胸元に抱き寄せた頭をポンポンとなでた。 「ひやこいわ、ドアホ…」 ＊　　　　　＊　　　　　＊ 外はすっかり暗くなり、バスの出発時刻が近付いていた。 「、寒ないか？　湯冷めしたらアカンで？」 「うん…大丈夫。」 あの後、急きょ近くの日帰り温泉を探し、 濡れてしまった制服からレギュラーウェアに着替えたは、 ほてった肌からうっすらと湯気を上げていた。 その手に持っているのは、ラケットと着替えの入ったバッグだけ。 うさいぬのぬいぐるみは、子犬を助けた後も なかなか泣き止まない女の子に渡してしまったのである。 「ごめんね…うさいぬ、せっかく取ってくれたのに。」 「アホやな、は。 　せやけどのそないなとこ、嫌いやないで。」 「ありがと。また取ってくれる？」 「任しとき。次はもっとデカいの取ったるわ。」 話をしているうちに、２人はバスターミナルに到着した。 「これが夜行バス…？　意外と、普通のバスなんだね。」 「格安やからな。」 「予約とかも自分でするの？」 「ネット使えば簡単や。」 「すごいな…やっぱり光君は行動力あるんだね。」 「そない、たいしたことないっスわ。」 目を輝かせるを見て、“川に飛び込むほうが よっぽど行動力あるやんか”と思う財前。 何か言いたそうにしているのを察したは 首をかしげるようにしてその顔をのぞきこむが、 財前はなんでもないというように視線を前に戻した。 「なぁ…。」 遠くを見つめながら財前が切り出す。 「俺ら、さっき川原でハグしとったやんか？」 「あ、ああ、うん…」 先程の行為を思い出し、は頬を染めた。 「あれ、めっちゃ後悔しとんねん。」 「え…？」 「あん時、もうキスしてまえば良かったんちゃうかって。」 「…へぇっ！？」 表情一つ変えずにとんでもないことを言い出す財前に対し、 は思わず変な声を出してしまう。 「そしたら今頃は俺のモンやろ…？」 うろたえるその表情を面白がるかのように見つめられ、 返す言葉も見つからない。 「ほな、また来るわ。 　次はアポ入れてちゃんとオフの時に来るから、 　そん時はんち、泊めさせてな。」 返事を待たずに、財前はバスに乗り込んだ。 「………」 立ち尽くすを残し、バスは走り去って行った。 ＊　　　　　＊　　　　　＊ その日の晩、更新された財前のブログ。 そこには、彼が青学のテニスコートでコーチをしている写真 （ただしスマホの操作が苦手なが撮ったため手ブレ）と、 ずぶ濡れのまま助けた子犬と戯れるの笑顔の写真が アップされていた。 Back