“CROSS”ROAD 街角のスポーツショップの前で、俺は腕時計をのぞき込む。 今日はここで、さんと待ち合わせをしているんだ。 いつも俺のほうが少し早めに着いていて、 さんが来るのはだいたい時間ぴったり。 それにしても今日は、だいぶ早く着いちゃったみたいだ。 ふと、店のショーウィンドウに目を向ける。 あ、PUMAの新作シューズが出たんだ。 さんが愛用しているのもここのメーカーだったっけ。 きっと欲しがるんだろうな、さん…。 ショーウィンドウにへばりついてそんなことを考えていたら、 首に掛けたロザリオがガラスに反射してきらりと光った。 俺は、無意識のうちにそれを手で包み込む。 もう、何年も身に着けていることになる。 誰にも話したことのない、小さい頃の大切な想い出 ―― ＊　　　　　＊　　　　　＊ まだ幼稚舎に入る前。 敬虔なクリスチャンだった祖父に連れられて、 俺はよく近所の教会のミサに行っていた。 そこで神父様からいただいたのがこのロザリオ。 だけど当時、俺は神様なんか信じていなくて、 ミサに行くのもこのロザリオを着けるのも嫌で嫌でたまらなかった。 小さい頃の俺は、今よりもっと気が弱くて引っ込み思案で。 よくそのことでからかわれたりいじめられたりしていた。 家族に心配をさせたくなくて、一人で駆け込んだ教会。 「うっ…く…ひぐっ…」 「長太郎君、よく頑張りましたね。 　どんなにつらいことでも耐え忍んで人に親切にしていれば、 　きっと善いこととなって長太郎君のところに返ってきますよ。」 「しん、ぷ…さま…それ…ほんと…？」 「ええ、神様はいつでも私達を見ていてくださるのですから。」 それでも、いじめはなくならない。 俺は、ずっとつらい思いをして我慢している。 それなのに神様は、一つとして願いなんか叶えてくれないんだ。 いつしか俺は、神様の存在も神父様の言葉も信じられなくなっていた。 そして… ある日の夕方、俺はいつも一人で遊んでいる公園にいた。 いつもと違うのは、ズボンのポケットにあのロザリオを忍ばせていること。 「こんなもの…ッ！」 俺はポケットからロザリオを引っぱり出し、力の限りに遠くへ投げ捨てた。 俺の手を離れたロザリオは、公園の片隅に植えられた大きな木の 枝先に引っかかり、夕日を反射して輝いていた。 「あ…」 その光を目にして我に返ると同時に、とてつもない罪悪感に襲われる。 大好きな祖父が連れて行ってくれた教会。 優しい神父様からいただいたロザリオ。 俺は、とんでもないことをしてしまったのではないかと…。 「…う…っ…うわあああん…！」 急に怖くなり、大きな声で泣き出してしまった。 …………… どれくらいの時間、そうしていただろう。 「どうしたの？」 不意に声をかけられ、ごしごしと涙を拭いながら振り返ると、 そこには俺と同じ年くらいの女の子が ラケットとテニスボールを手に立っていた。 「ひっ…えぐっ…」 言葉を発することができず、しゃくり上げながら 木の枝にぶら下がったロザリオを指差した。 「ふーん…」 女の子は少し考えると、 「私が取ってあげる！」 と、木の枝めがけてボールを打ちつけた。 「…え、あれ…？ 　おかしいなぁ、あんなにコントロールの特訓したのに…ッ！」 何度もボールを当てて落とそうとしたけれど失敗ばかりで、 とうとうボールのほうが枝に乗ったまま落ちてこなくなってしまった。 「えー…嘘でしょ… 　しょうがないな、これ持ってて！」 彼女は、ラケットを俺に押し付けると木に登り始めた。 「ちょっ…やめなよ、危ないよ…！」 「ダメ！　私が取ってあげるって決めたんだから！」 「そんな…」 俺は、はらはらしながら見守ることしかできずにいた。 「待ってて…絶対、取ってあげるからね…！」 何度かずり落ちそうになりながらも懸命によじ登っていき、 ロザリオに向かって手を伸ばす。 「んー…あとちょっと…！」 片手で幹につかまりながら、じりじりと枝先に向かっていく。 夢中になるあまり、先に近付くほど枝が細くなっていることに 気付かなかったようで… 「きゃあッ！？」 突然枝が折れてしまい、小さな体が落下する。 急いで駆け寄って見ると、その体は砂ぼこりにまみれ、 あちこちにすり傷ができていた。 どうして、見ず知らずの俺のためにここまで…？ 「痛ったぁ…」 「だ、大丈夫！？」 「うん…それよりほらっ！」 いっぱいに広げられたその手のひらには、 ロザリオが光っていた。 「あんな高いところに引っかけちゃって… 　どうしてこんなことしたの？」 「だって…それ、いらないものだったから…」 なんだか気まずくて、目をそらしながらつぶやく。 「…どうしてそーゆーこと言うのッ！？」 大きな声に、俺は肩をびくっと震わせた。 「…ッ…だって…」 じわりと涙がにじむ。 そんな俺の顔を見上げながら、彼女は優しくほほえんだ。 「もう、泣かないで。 　…大事にしなきゃダメだよ。 　だってこれ、すごくキレイだもん。」 「キレイ…？」 「うんっ、つけてあげる。」 そう言うと、傷だらけの手で俺の首にロザリオを掛けてくれた。 「ほら、すごくキレイ…！」 屈託のない笑顔。 あまりに綺麗で見とれている間に、彼女は走り去っていってしまった。 そしてその日から、このロザリオは肌身離さず持ち歩くお守りになった ―― ＊　　　　　＊　　　　　＊ それから間もなく幼稚舎に入園して。 そこで日吉や樺地と仲良くなって。 中等部で宍戸さんに出会って、テニス部という大切な場所ができて。 状況を変えるには自分から踏み出す勇気が必要ってこと。 俺が思っていたよりも、世界は優しいってこと。 たくさん、たくさんのことが分かって…。 だけどあの時、このロザリオを取ってくれた子のことだけは、 今になっても分からない。 せめて名前だけでも聞いておけばよかった。 どこで何をしていて。 どんな女の人に成長しているんだろう…。 もう一度会えたなら、あの時彼女がくれた優しさを、 今度は俺が返してあげたい。 神様、もう助けてなんて言わない。 だけどあと一つだけ願いを叶えてくれるなら。 一人ぼっちだった俺に笑いかけてくれたあの子に、 もう一度会わせてください ―― 「チョウター！」 「さんっ…」 「お待たせ！　…ね、今日は何して遊ぶ？」 「あの…公園、行きませんか…？」 「公園？」 「はい、このすぐ近くに小さい頃よく遊んでた公園があるんです。 　そこにはちょっと想い出があって…」 「え、そこってもしかして、あの交差点の先…？」 「そう、ですけど…？」 「うん…私もね、前に時々そこでテニスの練習してて ―― 」 Back