第２話　信念、そして別離


どこか、似ている。
それが、彼女に対して抱いた最初の印象だった。

もう何年前になるだろうか。
季節は今と同じ、春。
調査兵団本部で出会った三人組の新兵。
そのうちの一人に、リヴァイは目を奪われた。

小柄な背恰好、くせのある髪質、そして吊り目気味の大きな瞳 ――

地下街 ―― 自身の生まれ育った、ウォール・シーナ内地に存在する遊興街。
元々は巨人の襲来に備えて整備された避難用の空間だったが、
年月を経てあらゆる娯楽と犯罪が集まる無法地帯と化した場所 ――

その頃から行動を共にし、最初の壁外調査で失ったかつての仲間。
人懐こく、動物とも心を通わせることができた天真爛漫な少女。
自分を“兄貴”と慕ってくれた大切な妹分。

イザベル・マグノリア ――

だが、違う。

あからさまな羨望の眼差しを向ける他の男女二人と違い、
彼女だけはどこか冷静で、自身の本質を見透かすかのように
まっすぐにこちらを見据えていた。

似ているようだが、やはり別人 ――

リヴァイは、無性に苛立ちを感じていた。


＊　　　　　＊　　　　　＊


新たな季節の始まりは、あまりに衝撃的であった。

訓練兵団の全課程を修了し、各兵団への配属を待つばかりの104期生達が
ウォール・ローゼ南部のトロスト区で固定砲の整備を行っていたところ、
５年ぶりに襲来した“超大型巨人”により南扉が破られ、
無数の巨人達が壁内に侵入した。

壁外調査で出払っていた調査兵団に代わり、
トロスト区の駐屯兵団が中心となって防衛戦が展開されるも、
戦闘に駆り出された訓練兵も含め多数の死者を出してしまう。

苦戦を強いられる中、突如現れたのは“巨人を攻撃する巨人”。
さらにその内部にいたのは、巨人に捕食されたはずの
104期生エレン・イェーガーであった。

兵士達に混乱が広がり、巨人の手先として抹殺されかけるエレンだったが、
駐屯兵団における南側領土の最高責任者ドット・ピクシス司令の判断により、
エレンの能力を利用した侵入経路封鎖作戦が敢行される。

甚大な被害を出しつつも、駐屯兵団の精鋭部隊と同期のサポートを得て
エレンが運んだ巨大な岩石により扉の穴を塞ぐことに成功、
その後帰還した調査兵団と駐屯兵団工兵部の活躍により、
トロスト区全域を占拠していた巨人達は掃討された。

トロスト区奪還 ―― それは、人類が初めて巨人の侵攻を阻止した快挙であった。


＊　　　　　＊　　　　　＊


トロスト区における戦闘の事後処理に追われる中、
調査兵団の本隊からわずかに遅れてが単独調査から帰還する。

「、お帰りー！」

サクラを抱いたペトラが駆け寄ってくる。
主の帰りに気付いたサクラは、ペトラの手を離れの肩に飛び移った。

「ペトラも、遠征お疲れさま。
　長い間サクラを見ててくれてありがとうね！」

サクラの羽を撫でながら礼を言う。

「なんだか、大変なことになっちゃったね。」
「トロスト区の扉が封鎖されて、これまでの計画が全部パー…
　カラネス区からの東回りの順路とクロルバ区からの西回りの順路も、
　下調べしておいて良かったよ。」
「どっちが良さそう？」
「巨人の数は大差ないようだから、
　森が点在している東回りを提案してみるつもり。
　だけどどっちにしたって、遠回りは避けられないな…」

心底参ったといった表情で、が頭を抱える。

「・班長、帰りを待っていたよ！」

そこに、第四分隊のハンジ・ゾエ分隊長がばたばたと走ってきた。

「確か君は鳩とコミュニケーションが取れるんだったよね？」
「え、まあ…そこまでのものかどうかは分かりませんが…」

質問の意図が汲み取れず戸惑うとは裏腹に、
頬を紅潮させ興奮気味に続ける。

「私は君のその特技を、巨人達にも応用できないかと考えている。
　今回の作戦で、活きのいい子を二人も預かることになってね…」

ハンジの話によると、トロスト区奪還作戦中に二体の巨人の捕獲に成功、
第四分隊がその生態研究を担当することになったという。

「もう名前も決めてあるんだ。
　４メートル級の子がソニー、７メートル級の子がビーン。
　あの子達と心を通わせることができたら…あああ、最高に滾ってきたアアア！
　どうだい、このあと時間はあるかな？
　人間と動物、そして人間と巨人…異種間で育まれる親愛の情について、
　熱く語り合おうじゃないか…！」

ハンジの眼鏡がギラリと光る。

「あ、あのハンジ分隊長、私達このあと同期の自主訓練がありますので…」

ペトラが二人の間に入り、適当なことを言いながら
の背中を押して連れ出した。

「ああ、ハンジ分隊長、こんなところに…さあ、戻りますよ。」
「いやいやいやいや、訓練よりも大事なことがあるぞ！
　巨人との心のふれあい、いつしか芽生える友情、そして敵味方に分かれる運命…
　…熱い、熱すぎる！　クッソ熱いぜコレ！！　すッッッげぇ熱いッ！！！」
「分隊長、生き急ぎすぎです！！」

諦めきれずに喚くハンジを、探しに来た副官のモブリットが
諫める声が背後から聞こえてくる。

「アレはマズイやつ…あの調子じゃ明日の朝まで続くわよ。」
「ありがと、さすがに巨人の話はもう無理。」
「でしょ？　あ、そうそう、私の部屋に寄っていって。
　お父さんから“兵団の皆さんで”って、たくさんお菓子が届いたの。」
「わぁ、嬉しい！　調査帰りの甘いものって、たまらないんだよね〜。」

「そういえば、さっきオルオにも分けてあげたんだけどね、
　“美味い”って言ってすごい勢いで食べ始めて…」
「まさか…」
「舌噛んで流血〜！」
「うわっ、バカ！　類稀なるバカ！！」
「ちょっ、類稀なるバカとか、ウケる！」
「え、だって早食いで舌噛む人とか初めて聞いたんだけどー！」

二人はキャッキャと笑い転げながら宿舎のほうへと戻って行った。


＊　　　　　＊　　　　　＊


ペトラとは、ペトラの部屋で
彼女の実家から送られてきたクッキーを頬張っていた。
その傍らでは、サクラもその欠片をついばんでいる。
二人は、任務の疲れも忘れておしゃべりに花を咲かせていた。

「レーナ・ミレッカーね…うちの分隊にそんな子が入ってたんだ…」
「それでね、部屋から出てきたリヴァイ兵長を見てポーッとなってたから、
　これは話が合うんじゃないかなって思ってお昼に誘ったの。」
「で、いつもの話をしたと？」
「そう。調査兵団に入る前は、都の地下街でも有名なゴロツキだったって。
　詳しいことは分からないけど、エルヴィン団長の元に下る形で調査兵団に…」
「あ、そこはもう省略でいい…」
「えーここからが本番なのに。
　そしたらニファとか他の女子達も入ってきて、兵長の話ですごく盛り上がって、
　お昼休みが終わってたのも気付かずにみんなでずーっと食堂で喋ってたら
　ナナバさんに注意されちゃって…」

先輩に叱られたと言いつつ嬉しそうに微笑むペトラを見て、
は深くため息をついた。

「ペトラ…訓練兵団で友達になってから随分経つけど、
　いまだに一つだけ理解できないことがあるよ。」
「え、何？」
「男の人の好み…」
「そ、そんなんじゃないよ！　私はただ兵長を尊敬してて…」
「はいはい…」


＊　　　　　＊　　　　　＊


時は少し遡り、トロスト区奪還戦。

巨人化したエレンが岩石で扉の穴を塞ぐのとほぼ同時に、
ウォール・ローゼ南部で単独調査に当たっていたは
立体機動装置により壁を飛び越えてトロスト区に帰還した。

「なんだ、これ…」

彼女が目にしたのは、破壊された街と人々の死体、
その中を行き交う無数の巨人達。
彼らと対峙している兵士達は皆、薔薇の紋章を背負っていた。
その中の一人に声をかける。

「駐屯兵団精鋭部隊のリコ・ブレツェンスカ班長とお見受けします。」
「調査兵団…なぜここに？」
「申し遅れました、第三分隊班長の・です。
　別任務で壁の近くにいたのですが、街に煙が上がっているのを見て戻りました。
　すでに伝令兵を向かわせていますが…これだけの巨人が集まっているのですから、
　本隊も今、異変に気付いてこちらに向かっているはずです。
　それまで私一人では力不足かもしれませんが…加勢します。」
「ありがとう。取り急ぎ、区内に侵入した巨人の掃討だ。
　ここは私達に任せて、訓練兵が集中している北側を援護してほしい。」
「ハッ！　精鋭部隊の健闘を祈ります！」

街道沿いに、北へ向かって一直線に走り出す。
途中、何体もの巨人と戦い、兵士達を安全な場所へと避難させた。

「！？」

街の中心部に差しかかったところで、は我が目を疑った。
いつ巨人に襲われてもおかしくない状況にも関わらず、
三人の訓練兵が何やら言い争っている。
危機感の無さに半ば怒りを感じ、その間に割って入る。

「あなた達、何を揉めているの！？」
「一緒にいた同期がいなくなってしまって…」
「だから私が探しに行くと言っているのに、こいつらが邪魔を…！」
「無茶すんなよユミル、一人じゃ危ねえって言ってんだろ！？」
「放せよコニー！」

長身の黒髪の少女が行方不明の同期を探しに行こうとしており、
残る二人の男女がそれを止めている、という状況のようである。
ユミルと呼ばれた少女の腕を掴んで叫ぶ。

「あなたはまだ訓練兵…仲間を心配する気持ちは分かるけれど、
　まずは自分の身を守りなさい！」
「この…」
「きょ…巨人が来ました！」

睨み合う二人だったが、もう一人の少女の声で我に返る。

「バカ、逃げろサシャ！！」
「うわあああ〜…！」
「危ないっ！」

もう一人の少女、サシャと呼ばれた訓練兵を巨人から庇うように突き飛ばし、
即座に立体機動装置のアンカーを巨人の背後の建物に打ち込む。

「逃げて！　早く！！」

宙を舞いながらもなお、訓練兵達に気を取られたことが命取りとなった。

「うあ゛ッ！！」

巨大な手で振り払われ、壁に叩きつけられる。
頭を打ったようで、思考がおぼつかない。

「（あの子達は無事に逃げられただろうか…
　せめてもう少し、足止めしたかった…）」

朦朧とする意識の中で、はわずかな後悔を感じていた。

……………

程無くして調査兵団本隊がトロスト区に到着する。
扉の前で人間の姿に戻ったエレンを救ったリヴァイは、
若い兵士達とともに中央街道を北上していた。

「区内には相当数の巨人が侵入していると聞きましたが…
　このあたりは死骸ばかりですね。」
「妙だな…精鋭部隊の連中はともかくとして、
　駐屯兵団にそこまでの戦力があるとは到底思えねえが…
　…！！」

怪訝な表情を浮かべながら先頭を進むリヴァイが目にしたのは、
10メートル級の巨人と、その手に捕えられた。
巨人にわしづかみにされて両手の自由を奪われ、
今まさに口内に放り込まれようとしている。

「…っの野郎！」

リヴァイは一撃で巨人を仕留めると、さらにその手首を切り落とす。
落下するの体を奪い取って抱きかかえ、いったん戦線から外れた。

「…リヴァイ…兵士長…？」
「なんだ…滅多に見ねえ顔だと思ったら鳩女か。」
「んな…ッ！？」

“鳩女”…後にも先にもこう呼ばれたのは初めてで、
その悪意しか感じられない呼称に、は顔をこわばらせる。

「たいした怪我もねえようで何よりだが…
　鳩とばかり遊んで、一人でウロチョロしてやがるから
　こういうことになる。」
「…くっ…」
「オイ…巨人の餌になるところを助けてやったんだ、
　礼の一つでも言ったらどうなんだ？」
「…ありがとう…ございます…ッ」

悔しいが、自分の命を救ってもらったことに変わりはない。

「速度を上げるぞ…振り落とされたくなかったらしっかり掴まってろ。」
「は、はいっ…」

自身の立体機動装置は、壁に叩きつけられた際に破損してしまった。
不本意ながらも、はリヴァイの体に腕を回してきゅっとしがみつく。
リヴァイは安全な場所まで退避すると、を地面に下ろした。

「一人で歩けるな？」
「はい…」
「鳩女…いや、・だったか。お前は強い。
　だがお前には、兵士として決定的に欠けているものがある。
　…分かっているな？」
「ッ…」

はうつむき、唇を噛みしめた。


＊　　　　　＊　　　　　＊


「アーベル分隊長、提案させていただきたいことがあります。」

は考えた。

トロスト区での戦いは、駐屯兵団の脆さを露呈した。
もともと巨人との戦闘を想定した兵団ではないため、
個々の能力はそれほど高いわけではない。
かつては危機意識の欠如が目立っていたものの、
845年のウォール・マリア陥落を機に改善され、
防衛の強化に務めるようになったと聞いている。

だが、自身が以前に任務でウォール・ローゼ北部に出向いた際、
勤務中に飲酒や賭け事に興じる駐屯兵達を目にすることになる。
マリア陥落当時は訓練兵団に属していたには知る由もなかったが、
それはまさにかつての駐屯兵団の姿そのものであり、
南部と北部では依然として戦闘能力や意識に差があることを実感した。

南部のほうが圧倒的に巨人の襲来が多く、
それゆえ今以上に守りを固める必要がある。
“巨人は南から来る”ということは広く知られているものの、
駐屯兵の適正な配置のため、東西南北の巨人の分布を
調査する必要があるのではないか ――

「そのためにはまず、調査実績のほとんどないローゼ北部の
　実態調査から着手すべきと考えます。
　次回壁外調査に向けてカラネス区からの迂回案を採用していただき
　ローゼ南部付近の調査がひと段落した今、
　新たな任務として北方調査の許可をいただけないでしょうか。」
「おおっ、さすがだな。そんなこと、これまで誰も考えなかったぞ！
　早速準備に取りかかってくれ。エルヴィンには俺から話しておこう。」
「はい。必ずや、人類の反撃の役に立ってみせます…！」

人類の反撃 ―― だがそれは建前。
自身を全く認めようとしないリヴァイ兵士長に対し、
単独調査にも意味はあると、自分の選択は間違っていないと、
証明したかった ――


＊　　　　　＊　　　　　＊


巨人化能力を持つ少年、エレン・イェーガー。
トロスト区奪還後、彼は身柄を拘束され審問にかけられてしまう。

彼の存在を脅威とし、壁外への不干渉を主張し続ける王族とウォール教団。
今回の襲撃を受け彼を英雄と讃える住民や商会関係者。
その両者による人々の対立を危惧し、調査後速やかに処分すべきとする憲兵団。
そして、彼の力を利用することによりウォール・マリア奪還を目指す調査兵団 ――
様々な勢力がその思惑により彼を殺し、あるいは奪おうとする中、
三兵団を統括するダリス・ザックレー総統の判断により、
調査兵団の監視下においてその能力の有用性を示すことを条件に助命される。

こうしてエレンは調査兵団に配属され、監視と護衛を兼ねて
リヴァイを責任者とする特別作戦班、通称リヴァイ班に編入された。

「、ー！」

資料室で北方調査の準備をしていたの元へ、
ペトラとオルオが駆けてくる。

「、聞いて！
　私達、特別作戦班に…リヴァイ兵長に指名されたの！」
「ええっ、二人揃って！？　すごいね、おめでとう！！」
「まあ、ペトラはともかくとして、俺は実力からしたら当然だがな。」
「そうだねー、オルオもウザいくらいに討伐数アピールしてたもんね。」
「お、おう…」

二人がリヴァイに憧れていることを知っているも、
我が事のように喜んだ。

「それでね、…
　私達、のことも推薦したいと思っているんだけど…」
「え…？」
「も特別作戦班に入れてくれるよう、リヴァイ兵長に頼んでみる！」

の手を取り興奮気味に続けるペトラから、不意に目をそらす。

「ごめん、私はいいよ…」
「…？」
「ごめん…」

二人は兵士長に選ばれた。私は選ばれなかった。それが全てだ。
もっとも、推薦してもらったところで私が選ばれることはないだろう。
それは、トロスト区奪還戦での彼とのやり取りでも明白 ――

「それに私、これから北方の調査に行くことになって…」
「また一人で！？」
「ん…」

もうそれ以上は踏み込んでほしくないと言わんばかりに
そっけなく返答するに対し、意を決したようにペトラが口を開く。

「…ねえ…前からいつか言おうと思っていたんだけど…、
　…どうしていつも、一人になりたがるの？
　一人の力は弱いから…私達は一緒にいるんじゃないの？」
「うん…ペトラが、正しいと思うよ…」
「そうでしょう！？　私はもっと、と頼り合いたい。
　…そんなに私って頼りない？　私のこと、信じられないの？」
「そんなこと言ってない！　言ってないっ、けど…」

自分が認められるかどうか…それよりも本当に恐れているのは、
誰よりも大切な戦友と行動を共にすること。
もしもあの時のように…
二人が自分を庇って命を落とすようなことがあれば、
自分の心は完全に壊れるだろう ――

「何よっ、の分からず屋…！」
「ちょっと、そんな言い方って…！」
「…ペトラ、もうやめとけ…」
「でも…！」

涙を浮かべてを責めるペトラを、オルオが制する。

「、それがお前の意思なら俺はそれを尊重する。」
「…私は、私の仕事を最後までやりたい。」
「分かっている、お前はそういう奴だ…
　…だけどな…できることなら俺は、
　一度くらいは三人で一緒に戦いたかった…」

オルオが泣き出したペトラの肩を抱き、二人は資料室を出ていった。

「………クソッ！」

怒りとも悔しさとも違うやりきれない感情に、
は壁に拳を打ちつけた。

翌日の早朝。
特別作戦班は、エレンの巨人化能力の検証のため
旧調査兵団本部へと発っていった。
多くの兵士達が彼らを見送る中、そこにの姿は無かった ――



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