風薫る季節に（１） ―― ５月１日 ―― 心地良い風が青葉の香りを運び始める季節 ―― 朝礼前の２年７組の教室は、色めき立っていた。 「今日、うちのクラスに転校生が来るらしいぜ！」 「マジで！？ 男？ 女？」 「さっき職員室でチラッと見たって奴がいるんだけど、 すっげー綺麗な女の子だって！」 「うおっしゃぁぁぁ！！」 その中で一人、ざわつく生徒達には目もくれず、 海堂は黙々と一時間目の授業の準備を始めていた。 ＊ ＊ ＊ 「今日からこのクラスに転入する、三条 薫さんです。」 「「おぉ…」」 黒板の前に立ち、紹介される転校生の少女。 170cm前後の長身に、額を出したワンレングスのストレートヘア。 どこか憂いを秘めたような切れ長の目に、すっと通った鼻筋。 制服の製作が間に合わなかったのか、開襟のワイシャツに 紺のスカートとハイソックスというシンプルな装い。 およそ中学生とは思えないその大人びた容姿に、 生徒達は思わず感嘆の声を上げる。 「さあ三条さん、みんなにご挨拶を。」 「…よろしく。」 三条と呼ばれた転校生は、面倒くさそうに一言だけ発した。 「…うちの親が保護者会で聞いた話だけどさ、 あの子、三条文部科学大臣の娘なんだって。」 「え、最近テレビによく出てる？」 「あの子自身も、ＩＱがやたら高くてスポーツも万能な特別待遇生らしいぜ。」 「うわぁ、俺絶対仲良くなりてえ…！」 「でもよ、そんなすごい子がなんでこんな時期にうちの学校に？」 「もともとこのへんの生まれらしいけど…なんでだろうな…？」 どこからか聞こえる噂話をよそに、三条はカツカツと歩を進めると、 海堂の前で立ち止まった。 「…久しぶりね、海堂君。」 「…フシュゥゥゥ…」 海堂は、怪訝な表情で三条を見上げた。 ＊ ＊ ＊ “あなたも薫っていうんだ…私と同じね。” 幼少期に、海堂が通っていたテニススクール。 当時、「スポーツでまちを元気に」を主な公約として 区議会議員選挙に出馬しようとしていたオーナーが、 地域貢献のためにと自らの資産を投じて設立したものだった。 そこでともにテニスを習っていた、オーナーの娘。 互いに他人になじめない部分があり、 その所為か意図せずとも一緒にいることが多かった少女。 それが、三条 薫だった。 “いいなあ、家の庭にこんな大きなテニスコートがあって。 いつでも好きなだけ、テニスができるね。” “本当にそう思う？ なんだかお父様が、みんなに気に入られようとして造ったみたいで… 私は好きじゃないな。” “そんなこと言っちゃ駄目だよ！ ここにいる人達、近くでテニスができるってみんな喜んでるよ？” “…私は…お父様のことが嫌い。 お父様のようにはならない。なりたくもない…” “………” 海堂は、一度だけオーナーに会ったことがあった。 “君は本当にテニスが好きなんだね…プレーを見ていれば分かる。 どうか、これからもテニスを続けてほしい。” 周りの大人達から偉い人だと聞かされてはいたが、 三条の態度とは裏腹に、むしろ優しい人だと幼心に感じた。 その後、海堂が小学校に上がる頃にはテニススクールは他の人の手に渡り、 一家はどこかへと引っ越していった。 オーナーは瞬く間に都議会議員、そして国会議員へと 上り詰めたと聞いたのは、母親達の井戸端会議だっただろうか…。 ＊ ＊ ＊ 次の休み時間。 三条の周りには、さっそく人だかりができていた。 「ねえねえ三条さん、どこから来たの？」 「…千代田区…」 「部活は何やってたの？」 「…何も…」 「さっきの授業、一人で全部解いちゃってすごかったね！ 塾行ってるの？」 「…家庭教師…」 「三条さんって超綺麗だよね〜。彼氏とかいるの？」 「…別に…」 クラスメイト達が夢中で話しかけても、 あまり踏み込んでほしくないと言わんばかりに誰とも目を合わせず、 必要最小限の答えのみを返している。 「………」 三条はおもむろに席を立つと、海堂の元へと歩み寄った。 「…職員室に行きたいのだけど、まだ場所がよく分からなくて。 海堂君、案内してくれる？」 「……ついて来い……」 教室を出ていく海堂の後を、颯爽とついていく。 その光景を、クラスメイト達はただ呆然と眺めていた。 ＊ ＊ ＊ ―― ５月２日 ―― 三条の転入から一日が経ち、隣のクラス、 海堂の幼なじみであるの在籍する２年８組でも その話題で持ちきりだった。 「ねーねー見た？ ７組の転校生！」 「見た見た！ 背が高くて細くて、モデルみたいだった！」 「頭が良くて運動神経抜群で、お父さんが政治家なんだって。 すごいお金持ちで、この学校にもいろいろ寄付してくれたらしいよ。」 「あんまり喋らないらしいんだけど…むしろミステリアスでカッコイイ〜！」 「まさにクールビューティーって感じ！」 キャッキャと騒ぐ女子生徒達を尻目に、桃城がため息をつく。 「でもよ、話振ってもほぼシカトだし、クラスの奴らとつるんだりもしねえんだろ？ すげえ美人なのは認めるけどさ、なんかそういうのって… かわいくねーな、かわいくねーよ。」 「うん…でも確か、海堂君にだけは自分から話しかけに行ってるっていうか… よく一緒にいるって聞いたよ。」 「えっ…！？」 輪の中にはいたものの、未だ三条の姿を目にしたことがなく そのやり取りをなんとなく聞いていただったが、 ここで初めて声を発し眉をひそめる。 「げ、マジかよ…んだよマムシヤロー、美人独り占めしやがってよぉ。」 「そうそう…２人とも近寄りがたい雰囲気だけど、 だから似た者同士で気が合うっていうか…」 「実際、海堂君も見た目は結構かっこいいし、案外お似合いなのかもね。」 「そういえば、２人とも下の名前同じじゃない？ なんか運命感じるー！ …ってあれ、ちゃん？」 「……………」 は無言で教室を出る。 クラスメイト達が呼び止める声を振り切るかのように、足早に廊下を進む。 無性にいらだって仕方がない。 ふと、玄関脇に納品されたばかりの学校備品や体育用具の山を見つける。 被せられた布の下に見え隠れする、“寄贈 三条 薫”の文字。 ―― ガンッ！ は、その山を思い切り蹴飛ばした。 ＊ ＊ ＊ その日の放課後。 「皆さーん、今日は転校生の三条さんが見学に来てくれましたー。」 女子テニス部の開始前のミーティングで、 部長の美奈子が満面の笑顔で部員達に呼びかける。 その隣には、テニスウェアに身を包んだ三条。 初めて間近に見るその姿。 は、射抜くような視線を彼女に向けた。 「三条さん、テニスの経験はあるの？」 「…まあ、ね…」 三条は、相変わらずそっけなく答える。 「今日は来てくれてありがとう。女テニを選んでくれて嬉しいわ。」 「特段の事情がない限りは部活に入らなきゃいけないっていうから、仕方なく…」 「…そ、それじゃあ、さっそく練習試合でもしましょうか。 理亜ちゃん、相手お願いできる？ さあ、三条さんも…」 やや引きつった表情で美奈子がコートに入るよう促す。 それから数十分後… 「嘘…でしょ…！？」 三条は瞬く間に、美奈子との２人を除くレギュラー全員を ０ゲームで破ってしまった。 「ダメ。全然物足りない。この部でいちばん強いのは誰？」 「あの…」 「待って！ 美奈子先輩が出るまでもない、私が相手よ！」 オロオロする美奈子を制し、が前に出る。 「なんか…なんか、あなたにだけは負けちゃいけない気がする。 絶対負けられない…勝負よ！」 しかし、終わってみれば試合は１−６で三条の圧勝。 信じられないといった表情で座り込むに歩み寄ると、 とどめを刺すかのようにその頭上にラケットを振り下ろす。 「いやぁぁッ！」 悲鳴を上げ、とっさに頭を庇う。 その寸前でラケットは止められた。 「いるのよね…弱いくせにやたら威勢だけはいい奴。惨めね…」 三条はその後、美奈子も打ち負かしてしまった。 女子テニス部のレベルの低さに失望した三条は、結局、 マネージャーとして男子テニス部に入部したのだった。 ＊ ＊ ＊ ―― ５月７日 ―― 連休を終えても三条は周囲と打ち解けることはなく、 しかし男子テニス部マネージャーの仕事はてきぱきとこなしていた。 練習試合を終えた海堂に声をかけ、アイシングを施す。 その様子を遠目に見ながら、菊丸と不二が言葉を交わす。 「はにゃ〜、三条さん、めっちゃ綺麗〜…」 「すっかり骨抜きだね、英二。」 「だってあんなに美人なんだもん、メロメロにならないワケないっしょ〜？」 「ふふ…さんはもういいのかい？」 「そ、それとこれとは話が別だけどさ…」 ばつの悪そうな表情を浮かべて鼻の下をこすった後、 何かを思い出したように菊丸が話を続ける。 「でもさ…なーんか三条さんって、海堂によく絡んでる気がする。」 「あ、そのことなら僕、手塚から聞いてるよ。 海堂とは同じスクールでテニスを習ってた、幼なじみ同士なんだってさ。」 「いいなぁ、海堂ばっかりかわいい幼なじみがいて。 …あれ？ じゃあ逆に俺、今チャンスってこと？」 「まあ、そういうことにはなるかな。」 「うーん…でもなんだろ、なんか素直に喜べないっていうか。 よく分かんないんだけど、胸騒ぎっていうか、嫌な感じがする…」 「そうだね、英二は勘が鋭いから…怖いな…」 口を尖らせて頬杖をつく菊丸と、薄く開いた目で三条の姿を追う不二。 黒い雲が空を覆い、木々がざわざわと騒ぎ出す。 春の嵐が近付いてきていた ―― →Next リストに戻る |