風薫る季節に（３） ―― ５月１３日 ―― 着々と進んでいたはずの、三条と海堂の留学手続き。 だがここに来て、事態は急変した。 文部科学大臣である三条の父が、建設計画中の競技場の入札を巡り、 かつて世話になった議員ＯＢや地元企業の働きかけに応じて 不正行為を行った疑惑が浮上したという。 その報道を受け、青学にまでマスコミが押し寄せてきた。 「三条大臣のお嬢さんですよね？　お父様の疑惑について一言…」 「お嬢さんの名前を使ってこちらの学校に寄付されたことで 　公職選挙法違反の疑いもあるようですが… 　何かご存じだったんですか！？」 三条を取り囲んでマイクやカメラを向ける記者達に紛れ、 どこからか集まってきた野次馬の怒号も聞こえる。 「あいつが税金泥棒の娘か？」 「俺らの金でこんないい学校通いやがって！」 「あの野郎、最初は地元のため住民のためとか言っときながら、 　偉くなった途端に傲慢になりやがった！」 「税金返せ！！」 「……………！？」 青ざめた顔で後ずさりする三条。 そこに、一人の女子生徒が飛び込んできた。 「もうやめてください！！」 三条の前に立ったのは、だった。 肩で息をしているのは駆けてきたせいか、それとも緊張か興奮か…。 「さん…どうして…！？」 「勘違いしないで。私はあなたが嫌い。 　だけどこういうのは、違うと思う…」 高鳴る鼓動を抑えるように大きく息を吸い、群衆に受けて言い放つ。 「学校にまで来て、なんなんですか！？ 　悪いことしたのはお父さんで、三条さんは何も関係ないでしょ…！？」 ―― ゴンッ。 「…ッ！？」 人混みの中から投げられたペットボトルが、の頭に命中した。 衝撃とともに、中の液体が額から頬へと伝わる。 「なんだこいつ、三条の娘の取り巻きか？」 「お友達に守ってもらえて、いいご身分だなあ！？」 なおも浴びせられる罵声。 容赦なく光るカメラのフラッシュ。 「…あぁ…」 正義感だけで後先考えずに飛び出してしまったものの、 大勢の大人達からあからさまな憎悪を向けられ、身がすくむ。 泣き出したいほどの恐怖。 目眩に襲われ倒れ込みそうになった、その時 ―― 「っ…！」 人の波をかき分けて海堂が現れ、を庇うように抱き込んだ。 「薫ちゃん…！」 「もう大丈夫だ、…」 「うん…」 強い腕に支えられ、安堵の涙が浮かぶ。 だがは、その体をそっと押し退けると、 申し訳なさそうに海堂の顔を見上げた。 「…私は、いい…」 「どうした…？」 「三条さんを…助けてあげて…」 「…バカ野郎…」 海堂は軽く笑ってからぎゅっとを抱きしめ、 群衆に鋭い視線を向ける。 「いい加減にしやがれテメエら… 　いい大人が、寄ってたかって恥ずかしくねえのかコラ！？」 「「う…っ？」」 中学生とは思えない威圧感に、集まった大人達がたじろぐ。 「何をしているんですかあなた達、ここは学校敷地内ですよ！」 「さあ、三条さん早く中へ…三条さん？」 騒ぎを知って駆けつけた教職員達が声をかけるも、 三条はその場に立ち尽くしていた。 うつろな瞳に映るのは、必死にを守ろうとする海堂の姿。 「…………………………」 そして、三条は青学から姿を消した。 ＊　　　　　＊　　　　　＊ ―― ５月１５日 ―― 男子テニス部の部室。 「大変、大変だよっ！」 菊丸が、週刊誌を握り締めて入って来た。 「俺達の学校が載ってるって、姉ちゃんが教えてくれたんだけどさ… 　ホラここ見て！」 「え、これって…三条さん？」 「そう、それでこっちは…ちゃんだよね？」 目線は隠されているものの、知り合いであれば明らかに 彼女達と判る写真が掲載されている。 「マスコミの人達が来てて大騒ぎになったのは知ってたけどさ、 　まさかこんなに大きく載っちゃうなんて…」 「…見せろ！」 海堂が、菊丸から週刊誌を奪い取る。 「…っの野郎…！！」 「どこへ行くんだ海堂。」 いきり立って部室を出ていこうとする海堂を、手塚が呼び止める。 「お前一人が行ったところで何も変わらない。」 「そうだよ。幸い、個人が特定されるような情報は何も載っていない。 　さんだって、とっさに三条さんを庇っての行動なんだし、 　何も責められるようなことはしていないから大丈夫。」 「さんも三条さんも、被害者ということになるよね。」 手塚に続き、大石と不二もすかさずフォローを入れる。 「この件は先生方も承知している。 　下手に動かず、対応は学校に任せよう。」 「ハイ…」 海堂は、震える拳をぎゅっと握り締めた。 三条の父は、大臣の職を更迭されたものの議員辞職はせず 不正行為についてはあくまで裁判で争う姿勢であり、 それによりさらに世間の批判を浴びることになる。 だが、それらは中学生である彼らには詳しく知る由もないことで、 翌日、生徒達には三条が転校することが告げられたのみであった。 ＊　　　　　＊　　　　　＊ ―― ５月２０日 ―― 別れの朝 ―― まだ人の往来のほとんどない、夜明け前の駅のホーム。 力無くキャリーバッグを引きずる三条。 見送りは、海堂との２人だけ。 「……」 目を伏せたままの三条に、海堂が声をかける。 「…これから…どうするんだ…？」 「お母様の実家のある長崎に行って、学校もそこで通うことになる。」 「遠いな…」 「…お母様はお父様と離婚するつもりで、 　弁護士さんが間に入って調停を進めてくれているわ。 　とても優しい人で、向こうでの生活が軌道に乗るまで 　全面的にサポートしてくださるって。 　東京からはだいぶ離れるし、離婚が成立すればいずれ私の苗字も 　お母様の旧姓に変わるから、少しは静かに暮らせると思う…」 「そうか…」 「……」 「…あのっ…！」 ２人のやり取りを黙って聞いていたが、遠慮がちに口を開く。 「…三条さん…じゃなくなるから…えっと…」 「……？」 「…か…薫さん！　薫さんって…呼んで…いい…？」 これまで彼女に向け続けてきた睨むような強い視線とは違う、真剣な眼差し。 「…ええ。」 「薫さん…落ち着いたら、連絡ちょうだい。 　その…クラスの子達もテニス部のみんなも、心配してると思うから…」 「…分かったわ。」 三条は、微かにほほえんだ。 「かなわないわね…さんには。」 「えっ…？」 「だって、海堂君が選 ―――― 」 言葉が、発車音にかき消される。 三条が乗り込んだ電車が、静かに動き出す。 「 ―― ！」 何かを思い出したように走り出し、電車を追う。 「薫さーん！」 「…！」 の声に気付いた三条は、窓を開けて身を乗り出す。 「長崎で…続けてね、テニス…！」 がむしゃらに走るの姿がゆがむ。 声を振り絞って三条は叫んだ。 「もちろんよ…！ 　向こうできっと強いチームを作るから…あなた達も、もっと強くなりなさい！」 「薫さんっ…私達、強くなる…！　次は絶対負けないから！！」 「いつか、全国大会で戦いましょう ―― 」 「………」 窓を閉じ、座席に座り直す。 鼻の奥がツンと痛む。 溢れてくる全ての感情をのみ込むかのように、口をきゅっと結び天を仰いだ。 「（私はずっと、お父様のことが嫌いだった。それは今も変わらない…）」 窓の外を流れる景色が、速度を上げていく。 「（だけど一つだけ、お父様に感謝していることがある…）」 地平線が白く輝き始める。 「（私に、テニスを教えてくれたこと ―― ）」 眩しい朝日に、目を細めた ―― …………… 「…ッ、はあッ、はあッ…」 息を切らせてホームの端に座り込む。 電車は少しずつ小さくなり、やがて見えなくなる。 「…」 後から歩いてきた海堂が、の肩を支えて立ち上がらせた。 「風…」 線路の先を見つめ、がつぶやく。 「突然現れて、あっという間にいなくなって。 　なんだか…風みたいな人だった…」 一陣の風が吹き抜ける。 「…帰るぞ…」 「うん…」 明るくなっていく空の下、２人は歩き出す。 柔らかな薫風が、その背中をそっと押していった ―― - Fin. - Back← リストに戻る