体温（前編） ここは新大阪駅の新幹線の改札口。 「……」 細身のパンツとカットソーにゆったりしたジャンパーという ラフなようでいてスタイリッシュにも見える私服姿の財前は、 柱に寄りかかったままスマホを取り出して一瞥した。 やがて下り線のホームがにぎわい始め、大勢の乗客達が降りてくる。 「…あ、光君だ！　光くーんっ！」 財前の姿を見つけて声を上げたのは、 東京からやって来たペンフレンドの。 大きく手を振りながら、満面の笑顔で駆け寄ってくる。 「光君久しぶり、会いたかっ…」 「イエェェ〜〜〜イ！！」 （※連載２０周年特別読切のアレ） ―― バサッ 目の前で起きた想定外すぎる事態には固まり、 持っていた紙袋を落としてしまった。 「……………え…ど、どうしたの…光君…！？」 「サンシャイン池崎やでぇ。 　好きやって、前に手紙に書いとったやろ？」 「あ…ああ、池崎ね…うん…ありがと…」 この時初めて“スベる”という現象を理解したは、 顔を引きつらせながら紙袋を拾い上げた。 「あ、と…これ、お土産なんだ。 　オードリーのグレイシア、東京限定缶だよ。 　もしかしたらちょっと崩れちゃったかも、だけど…」 「マジっスか、おおきに！」 甘党の財前は、目を輝かせながらその袋を受け取った。 ＊　　　　　＊　　　　　＊ 「遠いとこよう来たな。会いたかったで、…」 「私もだよ…会えて嬉しい。」 大阪に住む財前と、東京に住む。 小学生の時に一時期同じクラスで過ごし、 その後テニス部の全国大会で再会したことから また連絡を取り合うようになった。 スマホやタブレットといった電子機器類の扱いに長け、 ネット上でもSNSに動画投稿にと様々な活動をしている財前だが、 壊滅的とも言えるほどそれらに疎いに合わせて 手紙でのやり取りを続けている。 根っからの面倒くさがりでドライな性格の財前がここまで 他人に合わせるというのは、惚れてしまった弱みなのだろう。 「心配してたんやで、誘拐されんで良かったわぁ。」 「一人でこんなに遠くまで来たことないから、 　ちょっと緊張しちゃった。」 が大阪を訪れるのは、これが初めて。 もともと旅行の予定があったわけではないのだが、 仕事で大阪に出張することになった母親の計らいで 後から追うように一人で新幹線に乗って来た。 今日一日は母親が仕事のため財前と過ごし、 夜にホテルで合流して明日は親子で大阪観光という日程だ。 「さて…どこ行きまひょか。 　、明日は親御さんとどのへん回るんや？」 「ちゃんとは決まってないけど…道頓堀とか通天閣あたりかな。」 「王道やな、そんなら今日は俺に任してもらってええっスか？」 「うんっ。」 「ほな、行くで。連れてってやりたいとこがなんぼでもあんねん。」 歩き出した財前の後を、は付いていく。 「それにしても…“東京出た”だけって… 　これじゃ迎えの時間も分からへんやろ。」 「ごめんね…メール、いまだにうまく打てなくて…」 「俺からの着信入っとったやろ？」 「うん、分かってたんだけど…。 　乗り物の中って電話しちゃいけないんじゃ…？」 「新幹線やったらデッキに移動すればええやんか。」 「そっか、ごめん…」 財前は軽くため息をつくと、首にかけていた ヘッドホンを外しての頭に乗せた。 「え、なに…？」 「前に送った曲や、俺が作ったやつ。 　再生の仕方が分からへん言うてたやろ？ 　ホンマにどんだけ機械オンチやねん…」 「…なんかもう…ホントにごめんなさい…」 「そないな顔されたら怒れへんわ…しゃーないから許したる。」 呆れたような表情を浮かべてはいたが、 ヘッドホンで乱れたの髪を整えるその手つきは優しかった。 ＊　　　　　＊　　　　　＊ 電車と地下鉄を乗り継ぎ十数分。 ２人が最初に入ったのは、堀江のオレンジストリートに面したカフェ。 「んー…なにコレおいしー…！」 幸せそうな顔で大好物の白玉あんみつをほおばる。 二口目を口に入れようとしたその時。 ―― カシャッ 「…え？」 音のしたほうを見ると、財前がスマホのカメラをこちらに向けていた。 「ねえ今、口開けてるとこ撮ったでしょ！？ 　恥ずかしいから消して？」 「ええやん別に、かわええんやから。」 「かわいくないっ、いいから早く！」 「アカンて、ブログに載せるんやから。」 ぎゃーぎゃーと騒ぎながらスマホの取り合いを始める２人。 もっとも、周囲からは中学生のカップルが じゃれ合っているようにしか見えないわけだが。 「お願いっ、光君…！」 「わーかった、せやったら俺のクリームぜんざい一口やるから諦めや？」 「うん、諦める！」 「（そんなんで諦めるんかい…）」 密かにツッコミを入れつつ、財前は自分の椀から一口分すくうと、 そのスプーンをの口元に差し出した。 「ほれ…口入れたるからあーんしぃ？」 「そんな、いいよ自分で取るから…」 「なら分けてやらんで？」 「やだっ、ちょうだい…？」 一枚も二枚も上手な財前に観念したは、 言われるがままに差し出されたものを口に含む。 「ヘタクソやな、。」 「え…？」 財前はの唇に付いてしまったソフトクリームを拭うと、 その指先をぺろっと舐めた。 「めっちゃ甘いわぁ。」 「ちょっ…光君っ！？」 ―― カシャッ 「ひどーい、また撮ったー！」 「ええ顔や。どっち載せるか、迷ってまうわぁ。」 「もう…光君てば…」 ポーカーフェイスながらも、どことなく楽しそうな財前。 恥ずかしいことに違いはないのだがそこまで悪い気はせず、 不思議と許せてしまうのだった。 ＊　　　　　＊　　　　　＊ 続いてやって来たのは、デパートのアクセサリー売り場。 「すごーい…本当にこんなのあるんだぁ。 　さすが、大阪って感じ！」 ヒョウ柄のバンダナを広げるの隣で、 財前はピアスを次から次へと手に取っては見比べていた。 「ひゃっ！？」 突然、財前がの耳たぶをつまむ。 冷たい感触に驚いたは、小さな悲鳴を上げた。 「なあ…はピアスせぇへんの？」 「そんな、考えたこともなかったけど…」 「かわええ顔しとるんやし、したらええのに。 　コレなんかめっちゃ似合うと思うねん。 　俺が穴開けたろか？」 「えっと…ごめんね、やめておく…」 は申し訳なさそうに財前を見上げた。 「なんかね…体に穴開けちゃうの、親に申し訳ないっていうか… 　あ！　あー…その…ごめん… 　別に光君のこと悪く言うつもりは全然ないんだけど…ごめんね…」 「なんやは優等生やな。 　せっかく一緒に来たんやし、お揃いの買いたかったんスけど。」 「え…」 度々挟まれる心臓が跳ね上がるような言動に、 は気が休まる暇がない。 「ねえ…光君…」 は、意を決して尋ねた。 「全国大会の時もだし…さっきからずっと思ってたんだけど…、 　光君って…なんかこう、人との距離感が不思議っていうか… 　遠いようで急に近くなるっていうのかな、 　うまく言えないんだけど…独特だよね？」 「誰にでもそないなわけちゃうわ。俺、基本他人に興味ないんで。」 「そうなの…？」 財前は、のほうに向き直る。 「前に言うたやろ…俺、とつきあいたいんスわ。」 「あ…」 全国大会準決勝でのやり取りを思い出す。 「あれ、本気やから。 　返事は…急がんでもええけど… 　俺、待っとるさかい…」 「……………」 真剣な眼差しでまっすぐに見つめられ、 は頬を真っ赤に染めた。 すると… 「ねえ、あそこにいるのZENZAI様じゃない？」 「え、マジ本物！？」 「めっちゃイケメンやわー！」 若い女性が２人、こちらを見て騒いでいる。 「ていうか隣の女誰？」 「彼女おったん？」 「独り占めとか許せへんわ、しばいたろか！？」 何やら、雲行きが怪しくなってきた様子。 「アカン、逃げるで…！」 ２人の会話に気付いた財前は、の手を引いて走り出した。 「え、どうしたの光君！？」 「話は後や、つかまったらごっつうめんどいことになんねん！」 店を出てビルの角を何度も曲がり、狭い路地裏をひた走る。 には何が起こっているのか全く理解できなかったが、 それでも財前と２人、知らない街を走るのは楽しいと感じた。 「あそこや…！」 寂れた雑居ビルのエレベーターに逃げ込み、扉を閉める。 「はぁ…間一髪やわ…」 「…ふふっ…あっはは…」 「どしたん？」 「なんか、映画みたいでおもしろかった…！」 お腹を抱えて笑うに、自然と財前の表情も緩む。 動き出したエレベーター。 しかしその脇に“調整中・使用禁止”と書かれた貼り紙があることに ２人は気付いていなかった…。 →Next リストに戻る