体温（後編） 母親の出張に合わせて大阪にやって来たは、 その初日を財前とともに過ごしていた。 しかしその途中、ネット上で動画投稿や音楽活動をしている 財前のファン達に追われることになり、 古いエレベーターに逃げ込んだ２人だったが…。 ＊ ＊ ＊ 「ねえ光君、あの人達なんだったの？ 光君の知り合い…じゃないよね？」 「俺は知らんけど…俺の動画とか見てる人ちゃうんか？」 「へぇ…すごい、人気あるんだね光君！」 「べっ別に…あんなん、ありがた迷惑っスわ。」 財前が照れくさそうに頭を掻いたその時。 ―― バチン！ 大きな音と震動とともにエレベーターが動きを止め、 同時に全ての照明が消えた。 「え…何…？」 「停電か…嘘やろ…」 「そんな…」 「オイコラ、開けんかい！ 中に人がおるねんで！？」 非常ボタンを押したが反応はなく、 扉を叩いてもびくともしない。 「クソッ、圏外とか…助けも呼べへんのか…！」 狭いエレベーターに閉じ込められてしまった２人。 「やだ…真っ暗…光君、どこ…？」 暗闇の中、は床にしゃがみ込み不安そうな声をあげる。 「…もしかして、暗いの怖いんか？」 「そ、そんなことない…全っ然平気…！」 しかしその声は明らかに震えている。 「強がりよって…ほら、これでええか？」 「べっ、別に怖くなんか…」 財前が腰を落としての手を取ると、 言葉とは裏腹に、その手は強く握り返された。 「こないな時に嘘ついたってしゃーないやろ…素直になり？」 「…ッ…怖い…です…」 「ええ子や。したらもっと安心させたるわ…」 「え…？」 強く手を引き、バランスを崩したを抱き寄せる。 「なんや、体めっちゃ冷えとるやん…寒いんか？」 「ちょっとだけ…」 「当たり前や、こないな薄着して…」 「ごめんなさい…」 「まったく、しゃーないっスね。」 財前は羽織っていたジャンパーを脱ぎ、 の体を包み込むように肩に掛けた。 「光君…」 「もっとこっち来ぃ。」 壁に寄りかかるように床に座り込み、 小さな体をジャンパーごとぎゅうっと抱きしめる。 「堪忍な…俺、体温低いんや。」 「そうなの…？」 「先輩からはイグアナ並や言われとる。」 「あれ、イグアナって変温動物じゃなかったっけ…？」 「知らんけど。…こないすれば、ちっとはあったかいやろ？」 「うん…ありがと…」 は財前にきゅっとしがみつき、 温もりを求めるようにその首筋に額を押し当てた。 「ごめんね…光君、寒いよね…？」 「こんくらい、別にどーってことないッスわ。 知っとるか、体温低いほうが寒さに強いんやで？」 「本当に…？」 「…知らんけど。」 エレベーターはいっこうに復旧する気配がない。 それまでぽつりぽつりと言葉を交わしていた２人だったが、 は少しずつ口数が減っていき、 やがて力無く財前に体を預けるようになっていった。 「…どないした？」 抱きかかえていた体を離し、暗がりに慣れてきた目で その顔をのぞき込むと、長旅の疲れが出たのか、 眠たそうに目をトロンとさせている。 「、寝るなや！ この寒さや、寝たら一発アウトやで？」 「ん…」 「せや、オモロイ話があんねん。 うちの後輩で金ちゃんってのがおるんやけど…」 財前は、を寝かさないように話しかけ続けた。 ＊ ＊ ＊ それからどのくらいの時間が経っただろう。 ―― ガコンッ！ 作業員達の手によって、エレベーターの扉が開かれた。 「申し訳おまへん！」 「せやからちゃんと目立つとこに紙貼っとけ言うたやんか、 このボケ、ドアホウが！」 「お嬢ちゃん達、ホンマ堪忍なぁ。」 安堵の表情を浮かべたが、真っ先に立ち上がる。 「ああ、助かった…良かったね、光君…！ …え、光君…？」 振り返って見ると、財前は床に倒れ込んでいた。 「光君、どうしたの…帰ろう…？」 抱き起こすと、その体はぐったりとし熱く火照っていた。 おそるおそる、その額に触れてみる。 「…すごい熱…！」 ＊ ＊ ＊ 「…俺平気やから…一人で帰れるから…」 「ちょっと待って、今私が調べてるんだから！ 確か“グーグル”で“ケンサク”すればいいんだよね？ そのくらい、私だってできる！」 外は、すっかり暗くなっていた。 スマホを手にが調べているのは、夜間も開いている病院。 メールすらまともに送れないだったが、 財前を助けたい一心で、必死に画面をタップし続けている。 「あれ、画面固まった…え、“登録が完了しました”？ きゃああ、なんかハダカの女の人出てきた、ヤダなんなのこれ〜！ あ、メール開いちゃった。 “これは呪いのチェーンメールです”って、イヤアアなにこれ怖いぃ〜！！」 「…無理せんでええで？ 親御さん待っとんのやろ…もう帰りぃ？」 「ダメ！ 私のせいで光君が寒い思いしちゃったんだから。 ちゃんとお医者さんに診てもらって、 それから私が家まで送ってあげるんだから！」 「ホンマに…はお節介やわぁ…」 所在地は分かっても、今度は行き方が分からない。 「絶対諦めない…光君、もうちょっとだから頑張って…！」 財前に肩を貸しながら、土地勘のない夜の街を歩き続ける。 朦朧とする意識の中で財前が見たその横顔は、 半ベソをかきながらもまっすぐに前を見据えていた。 ＊ ＊ ＊ そうしてようやくたどり着いた急病診療所。 待合室には誰もいなかったが、奥の診察室のほうから とても急病人とは思えない、けたたましい女性の話し声が聞こえてくる。 夜も遅いため自分以外に患者はいないと思っているのだろうか、 話が尽きる様子はない。 「はぁ…しんど…」 財前はにもたれかかり、肩に頭を乗せた。 「…あ。」 視点が変わったことで、“ご自由にお使いください”と書かれた 使い捨てマスクの箱が目にとまる。 「…」 「なにー？」 「ホンマ今更やと思うんやけど… こないなところにおったらうつってまうわ、マスクしとき？」 「ううん…いい。」 「なんでや…言うこと聞きぃ…」 は、はにかんだような笑みを浮かべた。 「だってめったに会えないし… それにね…光君、私のこと…その… かわいいって言ってくれるの、すごく嬉しくって… …顔、隠したくなくて…」 「存外アホやな…も。」 ため息混じりにそう言うと、 財前はの膝に頭を乗せて横になった。 「アホついでに…ちいっと甘えさせて。」 「なにそれ…」 「俺…今日結構頑張ったやろ？」 「うん…」 「せやから…ご褒美な。」 何かを求めるように伸ばされる財前の手。 がその指先に触れると、財前は自らの両手で 包み込むようにその手を握り、指を絡めてきた。 「…甘えすぎ。」 は苦笑しながらも、空いているほうの手で 財前の髪をそっとなでた。 「今度は、が俺のことあっためてな…」 ＊ ＊ ＊ 「お待たせしました、財前さーん。財前 光さーん！」 「ごめんねぇ、次が待ってるなんておばちゃん知らんくてぇ。 アメちゃんやるから堪忍な？」 「財前さん、帰っちゃったのかしら…あら。」 一つ前に診察を受けていた女性と看護師が待合室をのぞくと、 財前とは膝枕をして手をつないだまま、 ２人揃って眠ってしまっていたのだった。 Back← リストに戻る |